Source: Nikkei Online, 2024年6月17日 2:00
投稿内容はネット検索に出てこない。ウェブサイト内に広告は一切表示しない。「いいね!」ボタンも送金機能もないSNSが2023年、ひっそりと公開された。見た目は地味だが、設立趣旨は明快だ。「正直さと信頼性が何よりも評価される場所をつくる」
立ち上げたのは英国在住のプログラマー、ジミー・ウェールズ氏。誰もが編集に参加できるウェブ百科事典「ウィキペディア」の創設者として知られる。人々が信頼を築くSNSという願いを込めて「トラストカフェ」と名付けた。
01年に発足したウィキペディアは約80万人のボランティアがファクトチェックを繰り返す集合知によって記事の信頼性を高めている。英文の場合、1本の記事には平均で約180回の修正が加わる。大勢の知識を持ち寄れば真実に近づくという理念が活動の支えだ。
ウェールズ氏はトラストカフェの構築にあたっても、時事やテクノロジーに関する投稿の中身を利用者が相互に検証するメカニズムを取り入れた。投票を通じて投稿者の信頼度が評価され、ランクが高い利用者はSNSの運営にも携わる。
背景には既存SNSへの不満がある。ウェールズ氏が名指しするのが米起業家のイーロン・マスク氏が22年に買収したX(旧ツイッター)だ。利用者同士が投稿を直接修正する機能を欠くために、誤った情報を拡散する「不健全なメディアだ」と批判する。
一方のマスク氏の目には、多くの知識を反映すれば偏りの少ない情報にたどり着くという発想はうさんくさく映るようだ。「なぜそんなにカネを欲しがるのか」。非営利団体が運営し、サイト内で頻繁に寄付を募るウィキペディアをからかう発言を続ける。
ウェールズ氏も対抗意識を隠さない。「時間とともに多くの人が集まり、重要な存在になる」とトラストカフェの潜在力を確信する。バランスのとれた情報を強みに史上最大の百科事典となったウィキペディアの再現を狙う。
誰もが参加できるオープンな集合知の仕組みは、テクノロジーを正しく機能させる監視役として重みを増している。米非営利団体が立ち上げた「AIインシデントデータベース」は、人工知能(AI)が招いた各種のトラブルを有志の力で記録・分類し、再発を防ごうとする取り組みだ。
700件を超える記録の中には18年に米ウーバーテクノロジーズがアリゾナ州で起こした世界初の自動運転死亡事故や、23年に顔認証システムの誤作動で起きた米デトロイト市警の誤認逮捕などが含まれる。報告されるトラブルの数は過去5年で3倍近くに増えた。
米首都ワシントンの大学講師、ダニエル・アサートンさんは22年にデータベースづくりに加わった。専門は中世文学で、コンピューターサイエンスを本格的に学んだ経験はない。それでも「AIの影響を批判的に分析して議論するには、あらゆる分野の人々が実装に関わる必要がある」との思いに突き動かされた。
米非営利団体オール・テック・イズ・ヒューマン(ATIH)はAIの開発者らが交流し、議論できる場を提供している。AIの倫理面の課題や規制のあるべき姿などについて公に訴えるためだ。18年に同団体を立ち上げた法律専門家のデイビッド・ポルガー氏は「公共の利益に沿うようにテクノロジーをデザインしなければならない」と話す。
専用の連絡チャットには約90カ国から約9000人が参加する。AIなどの開発をめぐって自らの職場の倫理的な姿勢に不満を持つメンバーには、別の企業への転職をあっせんする。人材の流出を懸念するテック企業に方針転換を迫る戦略だ。
米連邦議会の超党派の議員団は23年秋、AI規制のあり方を話し合う官民の会議体を立ち上げた。24年5月には取り組むべき政策と優先度を示す工程表を発表した。ポルガー氏は「正しい方向への第一歩だ」と手応えをつかむ。所属組織の垣根を越えてこだまする技術者らの声は、政策決定者とテック企業の双方を動かし始めた。