Source: Nikkei Online, 2023年8月11日 2:00
光沢が眩(まぶ)しい中国産の絖地(ぬめじ)を振袖に仕立てた、若い女性の衣装である。楓(かえで)の大樹がうねる様に表され、竹を斜めに組んで垣にした竹矢来がデザインされる。背中には大きく「若紫」の文字。絹糸と金糸によって重厚に刺繡(ししゅう)される。
これは「源氏物語」の「若紫」の巻をモチーフにしたデザインなのである。貴族や武家しか触れる機会がなかった「源氏物語」。17世紀半ばには蒔絵(まきえ)師・山本春正(しゅんしょう)が編集した「絵入源氏物語」や俳人・野々口立圃(りゅうほ)(1595〜1669年)編「十帖(じょう)源氏」(万治4年〈1661年〉刊)、「おさな源氏」(寛文元年〈1661年〉刊)といった抄訳本が絵入りで刊行され、庶民の間にも、宮廷の恋物語が憧れを伴って広まっていった。流行模様を掲載した雛形本にも「源氏物語」を主題とした模様が見られ「当流模様 雛(ひな)形松の月」(元禄10年〈1697年〉刊)にこの振袖と全く同じ模様の衣装が掲載されている。
光源氏が初めて幼い紫の上に出会うのは、桜咲く春のこと。しかし、この衣装を纏(まと)う少女も見る人も、色づく紅葉の模様に、時を経て光源氏が紫の上を自邸に迎えた晩秋の季節を重ね合わせるのである。(17世紀末〜18世紀初、絖に刺繡、丈155.51センチ、裄(ゆき)61センチ、東京国立博物館蔵)