Source: Nikkei Online, 2023年8月16日 2:00
経済力を持った町人の女性たちは「伊達くらべ」と称して衣装の贅(ぜい)を競った。惣鹿の子絞りに、金糸や絹糸の刺繡(ししゅう)できらびやかに飾られた着物。ついに、幕府から刺繡や絞り、金糸を贅沢に施した衣装は一切許さない、という禁令が出された。それでも「綺麗(きれい)で華やかな衣装が着たい」裕福な町人女性たち。一方呉服商は「刺繡も絞りもダメならばさて、どうしたものか……」ということで、染め模様を中心とした雛形(ひながた)本を矢継ぎ早に刊行したのであった。
この小袖はそんな時代に生まれた。同じ模様が元禄13年(1700年)刊「当流七宝常盤ひいなかた」に記載されている。序文には「香車ものづきの染もやう」とある。「香車」とは華奢(きゃしゃ)と同じく「上品で優雅」ということ。7つの伝授染の1つ「友禅染」で染められている。これまでの着物が刺繡や絞りでゴテゴテに飾られていたことを思えば、友禅染は「華奢」な部類に入るのかもしれない。この友禅染こそ、次世代の小袖をまるで絵画作品のように自由に染め上げた立役者であった。(17世紀末〜18世紀初、紗綾(さや)〈絹〉に刺繡、友禅染、丈134.5センチ、裄(ゆき)51センチ、松坂屋コレクション J.フロントリテイリング史料館蔵)