Source: Nikkei Online, 2023年10月5日 2:00
鏑木清方が川合玉堂の訃報に接し「日本の山河がなくなってしまった」と嘆く。玉堂作品は日本の原風景を可視化し、四季の移ろいや自然と共にある生活に郷愁を覚える。近景の岩肌は濃墨の描線を、遠山をにじみによる空気遠近法で表し、墨色との対比で秋の澄んだ色調とする。玉堂は対象を観察する時間帯や季節を選び、臨場感ある光や空気を再現した。秋路を行く人の動きが抒情(じょじょう)性を添える。近代的でありつつ日本古来の主観的な自然描写の要件も備える点で、玉堂にしか描き得ぬ境地であろう。
玉堂は日本画の近代化の時代を生きたが、進歩のみをよしとする挑戦的な作風と異なる。明治中ごろに地理学者の志賀重昂(しげたか)が「日本風景論」を出版、伝統的な名所絵から地学に基づく合理的な構成へ、また水蒸気などの気象条件を伴う景観を示した。近代の眼(め)を持つ画家はそれら科学的な視点を避けて通れず、一方で古来、日本美術で重んじられた画家の人格がにじむような絵画との間で苦悩した。玉堂はこの点を超克し、説明的な写実に徹せず、自然を画家の思いに組み直して絵をつくることが日本画に求められると明言した。
(1927年、絹本著色、軸装、58.3×87.0センチ、二階堂美術館蔵)