ウイルスが変える建築の形 「衛生的な都市」問い直す

疫病の文明論(6) 五十嵐太郎(建築評論家)

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中国の民間伝承に伝わる厄除けの神、鍾馗(演者・張春祥、京劇「鍾馗嫁妹」より
 (C)新潮劇院、撮影・井田裕明)

「疫(えき)は役(えき)なり」。古代中国人にとって、疫病は、天が人民に均等に割り当てる苦役であり、戦役だった。

中国最古の字書 『説文解字(せつもんかいじ)』 に「疫、民皆疾也」とある。疫病とは、天下の人民がみな猛スピードで病気にかかること。中国数千年の歴史は、疫病に対する戦役の繰り返しだった。

「疾」の字源は、病気が矢のような速さで進行すること。「病」は、患者の手足がこわばり横にピンと張り出す(丙はそのさまを示す形)ほど重篤な状態。「役」は古代の武器「殳(たてぼこ)」を手に人々が遠征すること。「疫」には遠くまで広がるイメージがある。

海外の医療崩壊の現場の映像はすさまじい。集中治療室のベッドに横たわる重症患者たち。防護服姿に身を固め懸命に動き回る医師・看護師たち。「疫」「疾」「病」の字源さながらで慄然とする。

昔の中国人は、病気や不景気は、それぞれ身体の内部や社会の「気」の流れが乱れることから起きる、と考えた。

個人レベルでは、鍼(はり)や灸(きゅう)でツボを刺激し、体操で体を動かして気の体内循環を整える。

社会レベルでは、邪気や病気を力ずくで外部に追い払う「駆邪逐疫」の祭祀(さいし)儀礼を行う。大人数を動員し、爆竹をパンパン鳴らし、銅鑼(どら)や太鼓をガンガン叩(たた)く。京劇など中国の芝居が騒々しいのも、伝統的な葬式でチャルメラや太鼓をにぎやかに奏でるのも、駆邪逐疫の発想による。

鍾馗はマラリア(おこり)にかかった唐の6代皇帝、玄宗の夢の中に現れ、病を治したとされる
(演者・張春祥、京劇「鍾馗嫁妹」より (C)新潮劇院、撮影・井田裕明)

内省的で静かな祈りとはほど遠いが、民衆の士気を鼓舞し、社会の沈滞感を打破する精神的効果はあった。

中国の伝統医学のレベルは、それなりに高かった。中国最古の医書『黄帝内経』は「聖人は未病を治す」と疾病の予防を重視した。春秋戦国時代の扁鵲(へんじゃく)や『三国志』の華佗(かだ)など、伝説的な名医も輩出した。にもかかわらず、疫病の発生は防げなかった。

歴代王朝の支配者と人民は、疫病に襲われるたびに、国土の広さと人口の多さに頼る「集団免疫戦略」をとるしかなかった。社会的弱者を中心に多数の死者がでる。

明王朝の初代皇帝・朱元璋は貧農の出身で、若いころ家族全員を疫病と栄養失調で失った。そんな悲惨な話は珍しくなかった。駆邪逐疫の高揚感は、膨大な犠牲者が出る喪失感を乗り越えるための、悲しい知恵だった。

加藤徹氏

21世紀の科学技術をもってしても、新型コロナウイルスの特効薬をすぐには開発できない。

現代中国のコロナ対策も、本質は依然として「駆邪逐疫」の「戦役」である。

犠牲を覚悟で膨大な人員を動員し、戦友の屍(しかばね)を踏み越えて決着をつける。戦役なので、人民も都市封鎖の苦労を我慢する。政府は全国に動員をかけ、軍隊や、医師・看護師を病院単位で武漢に派遣する。鍾南山医師という総司令官や、李文亮医師という英雄、その他、軍神的な「戦死者」も出る。妊娠中の看護師や、頭髪を丸刈りにされる女性看護師など健気(けなげ)な「戦士」の報道映像を、国営放送は明るく勇壮なBGM入りで流す。人民は戦役勝利の高揚感に酔う。

そんな中国人から見ると、よくも悪くも冷静な日本人のコロナ対策は、とても奇妙に見えるのだ。逆もまた真なりだが。

今、中国は「第二波」への戦役に備えている。中国の政府と人民が自国のコロナ対策を冷静に振り返り、外国人に対して自国の責任を理性的に語れるようになるのは、まだ先であろう。

=おわり