コロナ「後遺症」働き盛り打撃 第5波で目立つ

Nikkei Online, 2021年9月14日 5:16更新


自宅療養中の男性が亡くなった場所に
手を合わせる清掃作業員=関西クリーンサービス提供

「100年に1度」と呼ばれる危機が頻発する時代に日本がすくんでいる。新型コロナウイルスとの闘いで後手に回り、経済の回復が遅れ、台湾有事のような安全保障の備えもままならない。ニッポンの統治はどこで機能不全が起きているのか。立て直せなければ国民の命が失われる。

ベッドに茶色いシミがこびりついていた。亡くなってすぐ発見されたのになぜだろう。5月11日、神戸市内の一軒家に入った特殊清掃事業「関西クリーンサービス」の運営会社代表、亀沢範行氏は首をかしげた。

部屋の主は一人暮らしだった90代の男性。4月末に新型コロナの感染が分かり救急車に乗ったが、病床に空きがなく自宅に戻された。翌日、遺体で見つかった。

感染のため遺体を運び出すのに数日かかり、防腐剤を使っても傷んでしまった。遺族からそう説明を受けた。テーブルの上にはパン。横にはワクチン接種券。「頑張って生きようとしてたんやな」

自民党の国会議員だった塩崎恭久氏は 3月、泣きじゃくる知人の訴えを聞いた。「家族が自宅で症状が急変して亡くなった。医師が診てくれていたら悪化に気付けたのに」。自宅療養中に相談していたのが保健所の保健師だったのを嘆いた。

塩崎氏は厚生労働省の幹部に提案した。「保健所が持つ自宅療養者の情報をかかりつけ医に伝えてオンラインで診る仕組みをつくれないか」

日ごろ診察している医師なら重症化の兆候を見つけやすいと考えたが想定外の反応が返ってきた。「行政情報は出せません。症状急変リスクはしょうがないんです」

「じゃあ死んでいいってことか。おまえら命を救うために厚労省に入ったんじゃないのか」。問うと相手は押し黙った。

幹部は医師免許を持つ「医系技官」だった。事務を担当する官僚とは異なる職種で、国家公務員試験を受けずに入省する。およそ300人の人事はトップの医務技監が握り、閣僚や事務次官の統制が及びにくい。政府内で「ギルドのような独自組織」と呼ばれる。

自宅療養者の情報共有に反対した理由を、与党幹部は「医系技官が保健所の権益や開業医の負担に配慮した」とみる。

この医系技官に直接聞くと「法律上、本人の同意なしに感染情報は出せないと説明しただけ」。自宅療養者には行政が委託契約した医療機関が健康観察を担う制度があると強調し「今すぐ対応を求める塩崎氏と今の仕組みで可能なことをやる私の議論はかみ合わない」と総括した。

その後、情報共有できる医療機関などを全国 3.2万件に広げる対応を進めてはいる。 政府によるこれまでの対策の本格的な検証はまだない。

米国の社会学者ロバート・マートン氏は官僚機構に潜む病理を「目標の転移」という言葉で看破した。 役所内の規則は目標を実現するための手段にすぎないのに、いつの間にか規則の順守が最大の目的に置き換わってしまうという現象だ。

「一つ一つの規則に拘泥するあまり、多くの顧客に便宜を計ってやることができない」という指摘は首相―閣僚―官僚の指揮系統が働きにくい「ギルド」で暮らす医系技官に顕著にあてはまる。日本が「コロナ敗戦」と呼ばれる状況に陥った原因の一つはここにある。

「国家安全保障局(NSS)があまり関与できなかった」。イスラム主義組織タリバンが制圧したアフガニスタン。日本が邦人やアフガン人協力者の退避に遅れた背景を政府高官はこう明かす。

内閣法が危機管理の所管と定める内閣危機管理監の組織は邦人退避に不慣れだった。安保の司令塔であるNSSは法的権限がなく政治判断なしでは動きにくい。首相官邸はコロナ対策で十分に手が回らなかった。

縦割りのはざまで退避作戦を担った外務、防衛両省は自衛隊派遣以外の方法を探り決断に時間がかかった。出遅れた日本を韓国紙は「カブールの恥辱」と揶揄(やゆ)した。 敗因は法的な縦割りと、それを打破する政治の意思の欠如だった。

日本の国家公務員は2021年度で59万人。かつて政策立案と実行を一手に担った巨大な頭脳集団は精彩を失っている。

1990年代後半から続く政治主導の掛け声の下、政策形成は官邸の一握りの集団に権限が移り、人事でも首根っこを押さえられた官僚は内向き思考を強めてきた。

政治が自ら責任をとって官僚機構を動かそうとしなければ、彼らは縦割り組織やルールの壁の内側にこもり、保身を最優先するしかない。

55兆円を超し、規模は大きいが、新しい日本をつくろうという気概が感じられない経済対策も今の政治と官僚機構の機能不全を映し出している

未経験の危機が繰り返し世界を襲う21世紀。 変化のスピードがかつてなく高まる中、統治機構を再構築しなければ、日本は世界から完全に取り残されてしまう。

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※掲載される投稿は投稿者個人の見解であり、日本経済新聞社の見解ではありません。

    為末大

    元陸上選手/Deportare Partners代表

    ひとこと解説

    この記事で書かれていることと同じ意味で、いつの間にか手段であったものが目的となってしまうことをスポーツの世界では「手段の目的化」と言います。 これを避けるのは容易ではなく、個人にできることは常に「そもそも」を考え続けること、そして自分を揺さぶり続けることです。 手段はいつしか習慣になり、一度習慣になれば変えることが容易ではなくなります。 多少間違えてもいいから毎年トレーニングのコンセプトを変えることが手段の目的化に陥らないための大事なことでした。

    2021年11月22日 7:57 (2021年11月22日 8:09更新)

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