囲碁の闘士たち

 Source: Nikkei Online, 2020/10/26 2:00更新

  1. 「囲碁は殴り合いだ」 苦境乗り越えた井山裕太の挑戦 => Link
  2. ファンと触れ合う「平熱の勝負師」 次代担う芝野虎丸 => Link
  3. 「英才」には旅をさせよ 仲邑菫を育てた勝負の環境 => Link
  4. 囲碁AIが独創の定義変える 大橋拓文が身を投じた革命 => Link
  5. 囲碁は世界をつなぐ 井山裕太・柯潔・朴廷桓の交流 => Link

(1)「囲碁は殴り合いだ」苦境乗り越えた井山裕太の挑戦

「囲碁って殴り合いなんですよね、ボクシングみたいな。
対局姿は静かだから、そんなふうには見えないでしょうけど」

囲碁界で王座や名人など7つあるタイトルを独占する「七冠」を2度達成した若き第一人者、井山裕太。その活躍を支えてきたのは、碁盤をリングに見立てて戦うような勝負への貪欲さだ。手ひどいパンチを食らっても簡単には倒れず、最後まで機会をうかがう。自分の頭脳だけを頼りに世界への挑戦を続けている。

自ら筆を執った「七冠」の色紙を手に笑顔の井山
(2016年4月)

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言で公式戦が止まっていた4月、井山はネット世界大会の大一番を打つために、大阪・梅田の高層オフィスの一角でパソコンに向かっていた。中国IT大手テンセント系企業の招きで日本から参加し、中国棋士に7連勝して決勝にたどり着いたのだ。その決勝も1勝1敗で迎えた最終第3局、勝てば世界一という久しぶりの大舞台だった。

しかし相手となった23歳の中国棋士、童夢成はしっかり対策を用意していた。「井山さんは難しい戦いを仕掛けて勝つことが多いので、乱戦に引き込まれないように注意した」。終盤で持ち時間がなくなった井山はわずかな判断ミスでリードを奪われ、最後は一歩及ばなかった。

■「気を抜いたらやられる」

囲碁は陣取りゲームに例えられる。19路四方の碁盤上にある361目を取り合うのだ。布石とよばれる序盤でおおよその勢力圏を決め、中盤になると互いに攻めたり守ったり。ヨセとよばれる終盤戦で線引きを確定する。相手が1目増えれば、こちらは1目減る。1局200~300手、そんなせめぎ合いが続く。

トッププロはわずか1~2目の差で勝負が決まる。3目あればセーフティーリード。「相手との間合いを計ったり一瞬の隙をつかれたり。気を抜いたらやられる。せっかくポイントを積み重ねても、1手でダメにしてしまうことなんていくらでもある」と井山は話す。

碁盤に向かえば誰を頼ることもできない。そんな孤独が、拳ひとつで戦うボクシングと似ている。実際、井山はボクシング好きで、毎週のようにテレビで録画して観戦する。なぜボクシングか。井山は父に聞いたという言葉を持ち出した。「いろんな格闘技があるけれど、本当に強いヤツは拳だけで勝負できるんですよね」

羽生善治とともに国民栄誉賞を受賞した(写真中、2018年2月)

何十手も先を読み、ガードを固めて殴り込む。あるいは相手を挑発してワナに誘う。碁盤の上でそんな野蛮な戦いをして、井山はのし上がってきた。12歳でプロ入りし、16歳で棋戦初優勝、20歳で名人になった。そして2016年26歳で囲碁史上初めて七冠を達成。いったん独占は崩れたものの、翌年に再び七冠となった。それは将棋で七冠になった羽生善治でも達成できなかった快挙だ。18年には羽生とともに国民栄誉賞を受けた。

■ 苦い経験をバネに

井山が今の攻撃的なスタイルを確立したのは、七大タイトルに初挑戦した19歳、08年名人戦時の苦い経験が根底にある。わずかに優勢でタイトルに手が届きかけた瞬間、打ちたい手があったのに、リスクのない手を選んでしまった。結果、相手につけ込まれて逆転負け。悔いが残り、このままでは勝てないと強く感じた。納得できない手は打たない覚悟を決めたのだ。

「どんな局面でも何が正解か、おそらく(棋力で人間を上回った)AI(人工知能)にも分からない。人間同士はなおのこと心理戦になる。対局の流れによって相手がひるんだら踏み込むし、逆にじっと我慢することもある。どんなに物静かな棋士でさえ、盤を挟んで向き合うと微妙な表情の揺れは感じるので」

果敢に国際戦に挑み続けている(準優勝した2018年の韓国LG杯)

時には1局を1~2日がかりで打つだけに、精神力、体力の消耗は激しい。対局が終わると体重が2~3キロ落ちることもよくあると井山はいう。若いとはいえ、すでに31歳。世界では中国、韓国の10、20代の棋士が席巻しており、すでにベテランの域に入っている。

■「一番になりたい」

それでも世界への挑戦をやめないのは「単純に一番になりたいし、子供の頃からの夢だから」。国内では同世代で無敵だった小学3年の頃、意気揚々と中国に遠征した。すると年下と対局してやり込められたのだ。世界は広い。強いヤツがたくさんいる。その衝撃を忘れられないという。

井山が囲碁を覚えたのは5歳の頃、テレビゲームで父と始め、すぐにアマ高段者だった祖父が教えるようになった。右利きなのに左手で碁石をもつのは、右脳に良いと考えた祖父のすすめだ。

小学1年の夏休み、九段の石井邦生に入門した。「すでに井山の負けず嫌いは並外れていた。おじいさんはとてもしっかりした方で、囲碁にまつわる昔話をすると井山は目を輝かせていたそうだ」と石井は振り返る。例えば三国志で毒矢を受けた関羽が酒を飲んで囲碁を打ちながら治療を受けたとか、遣唐使の吉備真備が当地の達人と皇帝の目前で対局したとか。「歴史の重みというか、長い時間をかけて受け継がれてきたものだと感じた」とおぼろげながら井山も記憶している。

吉備真備が囲碁を打った故事に基づく三代歌川豊国「金烏玉兎倭入船」
(東京都立中央図書館特別文庫室蔵)

井山は今、いかに世界で活躍する日本棋士を育て、囲碁の魅力を発信するかに腐心している。そこで立ち上げたのが「井山研究会」。20歳前後の有望株ばかりを集め、練習対局を繰り返す。

この研究会に参加して、公式戦でもしばしば井山をたたきのめしている童顔の棋士がいる。井山の持っていた史上最年少記録を次々と塗り替え、井山も「粘り強さや冷静さが際立っていて、総合的に非常にレベルが高い」と認める好敵手だ。

=敬称略、つづく

(山川公生)