Yokyこと松岡陽子が語る
「私がパナソニックに来た理由(わけ)」

Source: Panasonic, 2021年10月

2019年10月、グーグルの研究機関「グーグルX」の共同創設者で、ロボットや人工知能の研究者であり、直近まではグーグルのスマートホーム部門の「ネスト」のCTOだった松岡陽子がパナソニックのフェローに就任しました。人々のくらしをよりよくしていくことを追求していたら、それをできるのがパナソニックだったと語る松岡。これまでの歩み、仕事への想いを語ってもらいました。

松岡 陽子(まつおか ようこ)

パナソニック株式会社 フェロー(兼)Panasonic β CEO

UC Berkeleyで科学学士号(EECS、1993)を取得。
その後、人工知能とコンピュータサイエンスという新たな専門分野をもつ MITにて修士号(1995)とともに、電気工学とコンピュータサイエンスで博士号(1998)を取得。
1998年~2000年までハーバード大学工学・応用科学部の博士研究員を務めた後、カーネギー・メロン大学教授(2001~2006年)、ワシントン大学教授(2006~2011年)にて、ロボットによる人体・脳のリハビリ機器の開発に携わる。
2009年末、Google Xの創立メンバー(Co-founder)に加わった。
ガレージベンチャーだった Nestに参画。Nestは2014年、Googleに買収される。
2015年に Quanttusの CEOとなり、2016年にAppleに入社してヘルスケア製品開発に従事。
2017年に Google/Nestに戻り、2019年まで Googleの Vice Presidentで Google Nestの CTOとして従事。
2019年10月パナソニック株式会社へ入社。フェローに就任。


抱負や決意、担当分野が果たすべき役割

パナソニックに来る前は、Google のヴァイス・プレジデント(VP)でした。それ以前は、Google X や Nest の創設メンバーとして参画、アップルのヘルスケア製品開発にも携わりました。シリコンバレーではずっと、どの仕事でも、人々のくらしを良くすることに情熱を注いできました。

パナソニックが進める、新たなビジネスモデルやビジョンの実践について知見を深めると共に、これまでの経験を活用して、ハードやソフト、センサー、機器を組み合わせたコンシューマー商品を開発する。これが私の新たな役割と考えています。シリコンバレーの Panasonic β に拠点を構え、日本の事業部やカンパニーと、緊密に連携を図っていきます。

仕事をする上で大切にしていること、信条

結婚して4人の子どもの母親でもある私には、高齢の両親もいます。それだけに、自分自身と、家族のくらしを支える製品を作りたいのです。キャリアや仕事と、家庭生活のバランスをうまく取れない人はたくさんいます。そういう人たちの毎日を、もっと良くする手助けをしたい。これまでロボット工学や機械学習、生活・ヘルスケア製品、コンシューマー商品といった分野で培ってきた、経験と専門知識を総動員する時が来たと考えています。

「使命の遂行を重視し、社会を良くできているか、毎朝自身に問いかける」「人生は一度きり。やっておけば良かったと後悔しない」が信条です。

転機・印象に残っている出来事

Google のVPになるはるか昔、子供の頃は、テニスに明け暮れていました。プロのテニスプレーヤーになりたくて16歳で渡米。大学入学後もテニスしか頭に無かったのですが、ケガが重なり、プロは無理...と思うようになりました。そして思い切って、ロボティクスの教授に「数学と物理が得意なテニス選手です。こんな私ですが、テニスの相手をしてくれるロボットを作れるでしょうか...」と聞きに行ったのです。笑われると思いきや、「もちろん!3階にいる大学院生に教えてもらいなさい」。これがキャリアの始まり。ビックリですよね?

ロボティクスが好きになった私は、マサチューセッツ工科大学に移り研究を続けました。自身のためという身勝手さですが、人は夢中になるとものすごく早く学ぶことを知りました。私は、興味を持ったことに「のめり込む」タイプ。当時は将来につながるなんて思っていませんでしたが、次第に身の丈を超えるようなことを行えるようになったのです。

当時、多くの女性たちと話す中で実感していたのが、「皆、目的を探している」という点。私も頭の片隅で探していたのだと思います。そんな中、多くの障がいを持つ人々が、程度の差こそあれ、日常の動作を十分に、または全くできないと知りました。「私の将来の方向性は、こうした人たちの生活をテクノロジーで支援すること」。そう、はっきりと認識した瞬間でした。

そこで、学習機能を持つ支援・リハビリ用ロボットで、人々の生活の質を向上することをテーマに掲げ、ハーバード大学で再度学びました。これが転機となり、ペンシルバニア州にあるカーネギーメロン大学で教鞭をとることになったのです。

そこでの研究活動が軌道に乗り、キャリアを重ねるうちに、情熱に任せてガーッと物事を進める性格が再び顔を出し、腕や手を動かせない人たちのためのロボットを作り始めました。脚の機能を失っても車いすで外出はできますが、腕が無いと食事など最も基本的な動作すらできないと考えたからです。

手や腕の働きを取り戻す手段を探ろうと、動きや仕組みを研究するモックを制作。再現可能な部分や、逆に割り切って良い箇所を特定しました。不思議の国に入り込んだように気持ちが躍り、興味深い研究でした。生物学と医学、ロボット工学と機械学習の融合に無我夢中だった結果、マッカーサー賞* も受賞。分野をまたがる発見・発明は本当に面白く、学問領域やビジネス分野の壁も取り払えました。それでも、日常生活で困っている人の生活を、技術で実際に良くするには至らなかったのです。

*MacArthur Fellows:米国で「天才賞」とも呼ばれ、ノーベル賞と並ぶ知名度がある。過去の功績でなく、独創性、洞察力、可能性に優れた研究者を認定。

そこで、非営利団体 YokyWorks を設立。多くの人々のためではなく、身体が不自由な人たちに特化した、エンジニアリングソリューションの提供に情熱を注ぎ続けています。もっと何か出来ないか、日々追求です。

その後は、Google X を共同で創設。より生活者に密接した活動ができると考えたのです。シリコンバレーに移り、Waymo や Project Loon、Google Glass ほか、多数のプロジェクトを立ち上げ、毎日が満足の一方で、物足りなさも感じていました。生活者がくらしの中で感じる不便を、リアルタイムで改善したいと思ったからです。そこで2010年、収入は減ったものの、スタートアップ企業の Nest に移りました。当時はガレージにオフィスがある状態、社員は10人以下でしたね。

これらの信じられないような道のりを経て、パナソニックにたどり着いたのです。懐かしいわが家に帰ってきたみたいで、本当に感謝しています。

私は松下幸之助創業者の言葉や理念にすごく感動し、あらゆる面で共感しています。パナソニックは100年間、世界の多くの人々のくらしに影響をもたらしてきた「文化の象徴」。次の100年に向けたビジョン実現をサポートできると思うと、元気が出てワクワクします。有意義なものを創造することで、創業者が感じた使命を果たし、パナソニックの中核をなすDNAを守りたいと思います。

オフの過ごし方

子どもたちとアウトドアで過ごします。写真は、夕暮れ時に釣りをするシーン。こんな瞬間が大好きです。