トヨタが挑むソフト発の製造業 新産業革命「SDX」

Source: Nikkei Online, 2021年12月21日 4:00

ソフトウエア・デファインド(SD)による変革の波が押し寄せている。ソフトがモノやサービスを定義するという発想で、伝統的な製造業では従来の常識が一変する可能性を秘める。日本の産業界は、あらゆるものをソフト発で再定義する「SDX」に対応できるか。

カイゼンも仮想空間で

純白に映える富士山頂を間近に見据える土地で、未来都市の建設が進んでいる。トヨタ自動車がつくる「Woven City(ウーブン・シティ)」だ。

ウーブン・シティのイメージ図(トヨタ自動車提供)

全容は公開されていないが、完成予想動画では自動運転車が行き交いドローンも飛ぶ。豊田章男社長は「未来のモビリティー用のテストコース」と表現するが、さらにクルマ作りという観点で語ったのが未来都市づくりを託された子会社、ウーブン・プラネットのジェームズ・カフナー最高経営責任者(CEO)の言葉だろう。

「ソフトウエアのプラットフォームで人・モノ・情報がつながった時、我々に何ができるのか。その実証実験の場だ」

未来都市でソフト主体のモビリティーを築こうとしているのだ。カフナー氏が「このプロジェクトを通じて広がる」と指摘するのが「ソフトウエア・ファースト」のクルマ作りだ。

バーチャル空間を利用したデジタルツインと呼ばれる手法により、リアルではなしえない大量のシミュレーションで設計の効率を大幅に高めていく。常にネットワークとつながり文字通り走りながらカイゼンを加えていく――。そんな未来のクルマ作りの先陣を切るのが、この未来都市というわけだ。

ソフトがクルマの価値を生むソフトウエア・デファインド・ビークル(SDV)。自動車産業は100年に一度の大変革にさらされていると言われる。いわゆる「CASE(つながる、自動、シェア、電動化)」で語られることが多いが、SDVはその先にある自動車の本質的な価値変容と言える。

米テスラがソフトのアップデートという概念を自動車に持ち込んだが、クルマ作りそのものをソフト発に切り替える試みはまだ始まったばかりだ。トヨタはその難題に挑もうとしている。14日に公表した急速なEV(電気自動車)シフトに株式市場は目を奪われがちだが、その先にある自動車の本源的な価値を巡る競争を勝ち抜こうとしていることが分かる。

iPhone再現、鴻海は水平分業のクルマ作り意識

巨大産業のトップに立つトヨタの戦略転換は、部品などサプライヤーのピラミッド構造にも大きな衝撃を与える。それを先取りしたのが台湾・鴻海(ホンハイ)精密工業だ。

自動車の価値がハードからソフトに移るなら、ハードはコモディティー化していくだろう。ならば業界横断で共通化してはどうか――。そんな発想で打ち出したのが「MIH」というEVコンソーシアムだ。発足からわずか1年で2000社以上が加盟した。3万点もの部品の「擦り合わせの妙」を強みとしてきた自動車産業に、iPhoneで実現した水平分業モデルを持ち込もうとしている。

鴻海を巨大企業に育てたアップルもまた、自動車への参入を企てる。詳細は語らないが5年ほど前に始めた「タイタン計画」がいよいよ実用化を見据える段階に来ているようだ。

米アップルはiPhoneで起こした
イノベーションを自動車に持ち込めるか

アップルは自動車産業に何をもたらすのか――。ヒントになるのが他ならぬiPhoneだろう。07年、故スティーブ・ジョブズ氏は「電話を再発明する」と言ってiPhoneを世に知らしめた。

多くの人々がそのハードの完成度の高さに心を奪われたが、ジョブズ氏の本当の狙いが美しいデバイスにあったわけではないことを、我々は後に思い知ることになった。モバイルインターネットが生み出す巨大なアプリ経済圏を手中にするため、ジョブズはiPhoneを世界中にばらまいたのだ。

では、アップルがトヨタなどと競うのはEVの販売台数だろうか。答えは言うまでもない。巨大産業の価値の源泉となるソフトに、その照準が定められていると考えるべきだろう。

日立の社名から「製作所」が外れる日

ソフトウエア・デファインドは2010年代前半からIT(情報技術)業界で使われ始めた言葉だ。ネットワークならソフトウエア・デファインド・ネットワーク、略してSDN。ストレージならSDSとなる。

その多くが複数のハード機器をソフトによって統合的に動かす「仮想化」という技術を利用したものだ。米シリコンバレーのヴイエムウエアが先鞭をつけて世界に広がった技術だ。

楽天グループが20年に携帯の回線を提供する「キャリア」に参入する際、通信インフラの汎用設備の一部をソフトで置き換えて価格破壊を実現した。これは仮想化技術を活用した成果が大きい。インターネットの世界で戦ってきた楽天ならではのアイデアで、このシステムを海外に輸出する計画だ。

ソフトウエア・デファインドへの転換は、仮想化に限らず「ソフト主導」という、より広い概念で産業界に広がりつつある。人工知能(AI)など新しいテクノロジーの台頭が後押ししている。本稿ではこの動きを「SDX」と呼ぶ。トヨタが目指すソフトウエア・ファーストのクルマ作りが好例だが、自動車業界にとどまらない。

ファナックの「賢い機械」の根幹は
「エッジヘビーコンピューティング」の技術だ

ファナックが17年から展開するフィールドシステム。ロボットや工作機械をネットワークでつないで制御したり故障を未然に防いだりする。いわば「賢い機械」の根幹をなすのが「モノ」、つまり機械やロボットの側で大量のデータを即時処理する「エッジヘビーコンピューティング」の技術だ。ファナックはその後に対応アプリを展開しており、工場の機械をソフト主導に変えたと言える。

SDX的な発想は製品やサービスだけでなく企業経営そのものの変革も迫る。

ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正社長は「情報製造小売業」への転換を掲げる。自社で服をデザインし、生産を協力工場に委託する製造小売業(SPA)に進出したのが1980年代末のことだ。重要なのは、我々が足を運ぶ店舗がアジアを中心に展開する広大なサプライチェーン網の末端に位置していたということだ。「こんな服が売れるだろう」が最初にあり、それをアジアで作ってお客に届けていた。

柳井氏はこのサイクルを、店舗から入るデータをリアルタイムにサプライ網へ落とし込んで服をつくるという逆回転に変えるという。大量のデータを服づくりに生かすソフト主導の経営への転換を進めているのだ。

日立製作所はかつて「御三家」と呼ばれた化成、電線、金属を売却する一方で、1兆円で米システム企業を買収した。背景にあるのがネットワーク基盤のルマーダに軸足を置くソフト主導経営への転換だ。御三家のなりわいがいずれもソフトとの相乗効果が低いことを考えれば、大胆な事業入れ替えの狙いが透けて見えるだろう。

1910年に鉱山で使う「5馬力誘導電動機」から始まった日本のものづくりの雄もまた、ソフト主導の経営に舵を切っているのだ。いずれ日立の社名から「製作所」が消える日が来ると予言して本稿を終えよう。

[日経ヴェリタス2021年12月19日号]