デジタル小作人、米に貢ぐ5兆円
 稼ぐ日本「壊」より始めよ

昭和99年 ニッポン反転(11)

Source: Nikkei Online, 2024年1月15日 5:00

【この記事のポイント】
・日本はDXを進めるほど国富が海外に流出
・変化の速さというデジタルの本質を見失った
・成長を目指すには古い仕組みを壊す必要

「会社の基幹システムはクラウドに移し、生成AI(人工知能)も入れた。コンサルが言っていたぞ。月10万時間分のコストを下げられるんだってさ」。
2024年の東京。ある大手企業の社長は自社の「デジタルトランスフォーメーション(DX)」に満足げだ。

そして6年後の30年。「何を変えるかはっきりしない日本企業」(ジャパン・イノベーション・ネットワークの紺野登代表理事)が DXをなし崩しに進めた結果、米国プラットフォーマーを軸に支出は膨張を続けた。
国のデジタル関連サービス収支の赤字額は年10兆円を超えた。

絵空事と笑えない。三菱総合研究所は日本のデジタル赤字が23年、過去最高の5兆6000億円前後になると試算する。すでに原油や液化天然ガス(LNG)などの赤字額3カ月分に相当し、14年の2.6倍だ。


日本は国際競争力のあるクラウド基盤を持たない。米シナジー・リサーチ・グループによると、米大手3社で世界シェアの66%を占める。DXにいそしむほど国富が海外に流出する。耕せど豊穣(ほうじょう)は遠い、「デジタル小作人」の悲哀が漂う。

クラウドの草分けは米アマゾン・ドット・コム。リスクを取って赤字覚悟の投資を重ね、コンピューターサービスの新市場を創出した。01年にはメインフレーム(大型汎用機)で世界シェア4割を握っていた日本の影はもはやゼロに近い。

日米の明暗を分けた誤算は何か。変化の速さというデジタルの本質を見失った点にある。マサチューセッツ工科大学のマイケル・クスマノ教授は「日本はソフトウエアを製造業として捉えてしまった」と指摘する。

クラウドコンピューティングで先駆けたアマゾンは、赤字をいとわずに投資を積み重ねて市場を切り開いた=AP

米企業はサービスを運用しながら顧客と対話を重ね、失敗をいとわずに自らの意思と知恵で新たなサービスを素早く作り変えていく。対照的に日本はIT(情報技術)企業が顧客から丸投げされた提案を、忖度(そんたく)しながら作り込む。

顧客に納める以上、ミスは許されない。綿密に擦り合わせるため、時間がかかり技術は陳腐化する。失敗を避けるもたれ合いの構造が生まれ、進化を阻んだ。

オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステード博士が開発した国民文化を測るモデルがある。日本は不確実性を回避する傾向がロシアなどに続いて高く、世界で2番目に完璧さを好む国だ。逆に変化を恐れない傾向が顕著だったのは北欧。デジタル競争力ランキングの上位に名を連ねる。


国を代表する製造業だった携帯大手ノキアがスマートフォンとの競争に敗れると、フィンランド政府は延命ではなく創造的に「壊す」ことを選んだ。巨艦を離れた技術者の新興企業立ち上げを支援し、産業の新陳代謝を有機的に起こす戦略に国が舵(かじ)を切った。

「レガシー(過去の遺産)を作り替えるより、ゼロからデジタルの仕組みを作る方が早い」。慶応義塾大学の安宅和人教授は話す。

11年に創業したスタートアップのMujin(東京・江東)は無数の産業ロボットをつなぎ、無人で運用できる基本ソフト(OS)を開発した。中国ネット通販大手・京東集団(JDドットコム)の倉庫で世界初の完全無人化につなげた。

Mujinの滝野一征CEOは、ロボット産業のウィンドウズモデルを目指す

大手メーカーは自社ロボットに最適化した制御システムを作るため、他社連携は及び腰。逆に利害関係のないMujinであれば縦割りの壁を壊せる。日本企業が世界シェア4割を持つ産業ロボットの強みを生かしつつ、業界の常識を打ち破るデジタルサービスの創出につなげた。

滝野一征最高経営責任者(CEO)は「自分たちがプラットフォームを取れば日本のロボットも売れる。米マイクロソフトのウィンドウズモデルだ」と話す。これまでの常識や遺産の上に未来を築かない。

戦後の焼け野原になった浜松で生まれ、昭和の成長神話を象徴する企業になったホンダ。新たな成長をつかみ取るため、成功体験をなげうつ決断を下した。

9日、米ラスベガスのテクノロジー見本市「CES」でホンダの三部敏宏社長は新しい電気自動車(EV)を披露した。その名も「ホンダ ゼロ」。夢見るモビリティーは既存のガソリン車やEVの延長線にはない。ゼロから全く新しいEVを創る決意を込めた。

ホンダの三部社長が披露した新しいEVシリーズ「ホンダ ゼロ」は、
26年に北米から展開を始める(9日、米ラスベガス)

「昭和の時代に作られた会社や事業は成功体験が残り、今もそれなりの利益をあげている。でも、大きな成長にはつながらない」。三部社長は変えないモノはホンダのフィロソフィー(企業理念)のみと訴える。

経済成長がなければインフラは直せず、医療も介護も維持できない。
成長を目指すのは昭和と同じだが、古い仕組みを改めるのではなく、壊して新しいモノを生み出す。
成長する国づくりは「壊」より始めよ。

〈あのとき〉2001年、e-Japan戦略 デジタル敗戦の始まり

「5年以内に世界最先端の IT国家となることを目指す」。2001年、森喜朗政権は00年に成立した IT基本法に基づき国家戦略として「e-Japan戦略」を大々的に掲げた。90年代のインターネット革命を背景に、通信網の整備や人材育成、電子商取引(EC)の推進を e-Japan戦略に盛り込み、行政や産業の IT化を進めようともくろんだ。

新IT戦略本部の会合であいさつする森首相(左から3人目、2001年) 

戦略の柱の一つだった「高速インターネットを3000万世帯、超高速インターネットを1000万世帯に整備する」という目標は達成された。一方、本来必要だった ITを活用した新産業の創出や人材の育成はおろそかにされた。「インフラを整備することが心の逃げ場になってしまった」と三菱総合研究所の西角直樹主席研究員は指摘する。

00年代、ビジネスのデジタル変革を担うはずだった基幹産業のエレクトロニクスは事業撤退や売却など構造改革に明け暮れ、攻めの IT投資ができなかった。経済協力開発機構(OECD)によると、米国は00年から19年にかけて年間IT投資額を1.7倍に、英国は1.5倍、フランスは2.2倍に増やしたが、日本は10%減少している。ネットベンチャーを育てる動きもなく、「出る杭を打つ」風土が産業の新陳代謝を遅らせた。


「IT新改革戦略(06年)」や「世界最先端IT国家創造宣言(13年)」など、政府はe-Japan戦略の後にも似たような戦略を相次ぎ公表した。だが、過去の政策検証は十分に行われず見せかけの空回りが続いた。そのツケは20年の新型コロナウイルスの感染拡大で露呈し、官民の「デジタル敗戦」が世界にさらされた。

スイスのビジネススクール IMDによると、日本のデジタル競争力ランキングは 23年に世界32位と22年から3つ順位を落として過去最低を更新した。24年こそ後退の歴史に歯止めをかけるときだ。

=おわり