本庶佑 私の履歴書(25)総合科技会議

京都大学がん免疫総合研究センター長

Source: Nikkei Online, 2024年6月26日 2:00

小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦――。 数えてみると私は 5年半の間に 7人の首相にお仕えした。

民主党政権下の総合科学技術会議=政府広報オンラインから

2001年の省庁再編を機にできた総合科学技術会議(現在は総合科学技術・イノベーション会議)の常勤議員を2006年6月から12年1月まで務めた。

きっかけは前任の岸本忠三氏が体調を崩し、続けられなくなったこと。どうやら医学者の枠があり後任を推薦するのが通例だという。

しかし、常勤となるとその間、研究ができなくなる。すでに教授職は定年で退いていたが、特任教授の肩書で研究室も持っていた。

何とか断れないか。渋っていたところ、内閣府の統括官が京都までやってきて「政治家への根回しは済んでいます」と懇願された。外堀を埋められてしまった。岸本氏の顔もたてなければならない。渋々、嫌々、受諾した。

東大で助手をしていた1970年代半ば以来、ほぼ30年ぶりの東京暮らし。官舎に住む選択肢もあったが、自分で部屋の掃除やゴミ出しをしなければならない。平日はホテル住まい、週末になると京都に戻る生活となった。

在任中、一番重要な仕事といえば第3期(06年度から5年間)の科学技術基本計画の進捗をチェックすることだ。

私が担当する生命科学は重点分野である。予算シーズンになると、各省庁からあがってくる関連プロジェクトを「SABC」の4段階で評価する。アドバイザリーボードにおいて専門家の立場から研究の重要度を見極める。

いまでも覚えているのが「がんワクチン」計画だ。 第2段階の臨床試験(治験)をやるというが、動物実験の成果しか出ていない。計画書に記されたエビデンスをみても、一例のみで似たような研究はいくらでもあった。

がんワクチンが効くのなら、国が予算をつけ国費を投じなくても製薬会社が飛びつく。 口のうまい研究者が政治や霞が関と結託し、予算を分捕ろうとする例はよくある。

もちろんこの計画は却下した。 が、思わぬ波紋を呼んだ。がんの特効薬候補を総合科技会議が蹴った、けしからん、と関西のマスコミにたたかれたのだ。がんの新薬への社会の期待が想像以上に強いことを思い知らされた。

霞が関のなかで仕事をしてわかったが、役人が発言権を持ちすぎる。 美辞麗句を並べ、どこか夢を語るようにして政治を動かそうとする。

経済産業省の官僚が総合科技会議を仕切りだしたのがよくなかった。「オープンイノベーション」の旗を振った。企業は基礎研究にコストをかける必要はない、色々なリソースは外からとればいい、と。

経営者にとっては聞こえがいいだろうが、これは大間違い。内で研究せずに外の研究を評価できるはずがない。 大手電機は基礎研究から手を引き今の衰退につながった。

米国では政府が予算の大まかな配分だけを決め、中身は学者が決めていく。総合科技会議も司令塔をうたうのなら、官僚主導から学者主導にしなければならないが、現実は逆の方向に進んだ。日本の科学技術の力が落ちぶれていくのは必然だった。