名ばかりDX、逆効果 アナログ風土の見直し遅れ

Source: Nikkei Online, 2022年4月17日 5:30

増え続けるオンライン会議、夜間休日も絶えない業務連絡の通知音――。革新的デジタル技術の普及が働く人々の疲労や集中力低下を招き、かえって生産性を落とすという残念な事態が懸念されている。急速に広がったテレワークやデジタルトランスフォーメーション(DX)が形ばかりで、アナログな働き方の見直しが追いついていない。

「デジタルオーバーロード(過負荷)のリスクがある」。米マイクロソフトは3月、新型コロナウイルス禍で働き手の負荷が高まっていると警鐘を鳴らした。同社が2020年9月にまとめた調査では、日本の働き手の23%が「バーンアウト(燃え尽き症候群)」を感じていると答えた。

職場向けアプリ「Teams(チームズ)」の世界の利用動向をみると、20年3月に比べ1人当たりのオンライン会議件数は2.5倍、チャット件数は1.3倍となった。21年4月には休憩なしのオンライン会議を続けるとストレスが蓄積し、集中力の低下などを招くことを参加者への脳波計測を通じて報告した。

コロナ禍で一気に定着したテレワークで、デジタル機器を介したやりとりが急増した。仕事と私生活の境界もあいまいになった。

NTTデータ経営研究所などの21年の調査によると、上司から就業時間外に緊急性のない電話やメールがあり、週1回以上対応している人は22.5%と、19年から7.6ポイント増えた。同僚や顧客が相手のケースも増加傾向だ。

就業時間外でもメールなどを確認できてしまう環境が整う現状を、働き方改革の動向を追ってきた同研究所の坂本太郎シニアマネージャーは「深刻な状況に進みつつある」と受け止める。

就業時間外の連絡に対応する人の約7割は「気になることは早く終わらせたい」ことを理由にあげる。素早く対処しないと落ち着かない心理が、ますます時間外対応を当たり前にする。この悪循環が人々をより窮屈にする。

スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセン氏は著書「スマホ脳」で、チャットやメールを受信すると脳内で神経伝達物質の「ドーパミン」の量が増え、確認したいという強い欲求を感じると指摘した。その繰り返しがスマホ依存など深刻な影響を生むという。

米テキサス大の研究者らはスマホが近くにあるだけで認知能力が下がると報告する。集中力や記憶力にマイナスに作用しかねない。

人類学者で総合研究大学院大学長の長谷川真理子氏はデジタル技術の普及を「複雑な脳の働きに機械が踏み込んできた」と表現する。仕事もプライベートも「常時接続」が当たり前になったのはここ10年ほどの変化だ。生物としてのヒトはそう簡単に適応できない。

デジタル機器をアナログ時代のルールで運用する過渡期の課題という側面もある。デジタル化を契機に業務のあり方を変革し、従業員の活力や生産性の向上につなげることがDXの神髄なのに、デジタル化自体が目的になっている。

クラウドを活用したシステムの開発や運用を手掛けるサーバーワークスは3月、働く場所や環境を社員が選択できるよう勤務制度を刷新した。同社でチャットは必須のツールだが、ガイドラインで「業務時間外に通知を受けたくない場合は、受け手側が自身の設定で制限する」と定める。

就業時間外の連絡をどこまで許容するか自分で決める。同社でも社員間の行き違いが生じ、議論を経て今のルールに行き着いた。社員を守るだけでなく「パフォーマンスを最大化するのが目的」と太田奈津希人事部長は説明する。

海外ではデジタル機器の適切な利用を通じて心身の健康を確保する「デジタルウェルビーイング」が重視される。就業時間外の業務連絡を拒む「つながらない権利」が関心を集める。フランスが17年に労働法に規定し、欧州を中心に導入が広がる。

青山学院大の細川良教授は日本での適用は「夜間も海外とやりとりする企業を法律で一律規制するのは現実的ではない」とみる。「労働者に無用な負荷をかけない働き方が求められている」としてガイドラインなどで自発的な取り組みを促すことが必要だと訴える。

すぐにできることも多い。マイクロソフトはオンライン会議の招待状を必須か任意かで分けたり、特定の日や時間帯を会議禁止にしたりすることを助言する。就業時間外のメールやチャットは「不急」と明記することも有効だ。

日本はデジタル技術の活用で後れを取ってきた。心構えもできないうちに慌てて取り組んだDXが逆効果になるのだとしたら、さらに世界から取り残されかねない。

〈Review 記者から〉競争力挽回へ 真のDXを

スイスのビジネススクールIMDがまとめる「世界デジタル競争力ランキング」で、2021年の日本の総合順位は64カ国・地域中28位と低迷する。個別指標でみるとさらに悲惨だ。「デジタル・技術的スキル」は62位、「企業の俊敏性」は64位に沈む。

21年版の情報通信白書はデジタルトランスフォーメーション(DX)に取り組む企業が米国並みになったとして、日本の産業全体への影響の試算を示した。製造業の売上高を前年度比約23兆円、非製造業で約45兆円押し上げる効果があるという。

国土交通省が3月に公表したテレワーク人口実態調査では、企業などでテレワークをする人の84%がコロナ収束後も継続する意向を示した。通勤時間分を有効活用できるなど利点は多い。柔軟な働き方として定着する可能性は高い。

働き方の変化にとどまらない。世界では人工知能などを活用した新しい製品やサービス、事業モデルの創造競争が激しい。グローバルインフォメーションによると、DX関連の市場規模は年平均約2割のペースで拡大し、26年に世界で1兆2000億ドル(約150兆円)超に達する見通しだ。

インターネットやスマートフォンを手放すことは考えられない。デジタル化のうねりはますます大きくなる。必要なのは表面的なDXでなく、「質」を高めて生産性や競争力の向上につなげる真の変革だ。それこそが「デジタル疲れ」のような副作用を低減できる。

(AI量子エディター 生川暁)

■デジタルウェルビーイング

 デジタル技術を人々の心身の健康や幸福につなげる考え方。2018年に米グーグルのスンダー・ピチャイ最高経営責任者(CEO)が重要性を訴え、広く知られるようになった。
米アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏は自身の子供に「iPad」などを使わせることに慎重だった。デジタル機器への依存などが成長の妨げになることを懸念したためとみられる。
スマートフォン依存やSNS(交流サイト)中毒などの負の影響を減らす工夫もある。スマホやアプリの利用時間に制限を設けたり、睡眠時の通知を止めたりする機能のほか、ウエアラブル端末が利用者に休息や深呼吸を呼びかける例もある。