東日本大震災7年 復興、コンパクトな街に

<<Return to Main

 東日本大震災から11日で7年。岩手、宮城、福島県では津波で壊された沿岸部の街の再建が進む。日本経済新聞が被災地の人口分布を調べたところ、人口が減りながら中心市街地の人口密度は震災前より上昇した自治体が複数あることが分かった。病院など生活に密着した「核」を中心部に配置し、住民を集めたのが共通点だ。被災地での街のコンパクトな再建は、日本各地のヒントになり得る。

■ 中心に高層住宅

 7年前、宮城県気仙沼市の中心市街地は津波と火災で破壊された。同じ場所には今、真新しい高層住宅が立ち並ぶ。自宅を失った被災者のため、気仙沼市が建てた復興住宅(災害公営住宅)だ。菅原茂市長は「震災前と同じ広さの中心市街地を再び形成するのは現実的ではない」と強調する。人口減を踏まえてコンパクトシティー実現を目指す。

 内閣府はコンパクトシティーを「人口集中地区(DID)の人口密度が高い市町村」と定義する。日経は2015年10月の国勢調査からDIDが存在する沿岸部の被災自治体を抽出し、15市町が該当した。このうち岩手県久慈、釜石、宮城県気仙沼、石巻、多賀城、東松島の6市は人口を減らしながらもDID内の人口密度は上昇した。しかも気仙沼市などによれば「15年当時より現在の方が、中心部に人が集まっている」。

 全国では300以上の自治体がコンパクト化の構想を持つが、実現は難しい。人口を減らしながら中心部の密度が上昇した6市は異例だ。東北大学の増田聡教授は「津波で浸水した土地での住宅再建を禁じ、中心部に住民を集めた被災地は、大規模な社会実験の現場ともいえる」と話す。

■ 「核」を先に配置

 中心部をコンパクトに再建できた自治体は、いずれも「街の核」となる施設を決め、郊外から住民を呼び込んだ。気仙沼市や石巻市は大規模な市立病院を「核」に位置付け、老朽化や震災で建て替える際に郊外ではなく中心部を選択した。

 核は公共施設でなくてもいい。「イオンのショッピングセンターを、中心部再建の有力な核に据えた」と釜石市復興推進本部の佐々木勝事務局長は語る。誘致した店の周囲に市民ホールなどを建て、街を再建した。まず公共施設を据える一般的な発想とは正反対だ。

 コンパクト化は行政と住民の双方に利点がある。気仙沼市は戸建て住宅が並んでいた一帯を高層住宅群に変えたことで、商業施設に適した空き地を確保した。現在は地元の農水産品を扱う観光商業施設の建設が進む。完成すれば日常的な買い物や観光集客に役立つ。

 一部の高層住宅の1階では津波で流された小売店や飲食店が営業を始めた。中心部に住民が集まることで再開する店が増え、便利さが郊外から一段と人を呼ぶ好循環が生まれつつある。

■ 便利さがにぎわい誘う

 石巻市の中心部ではマンションや戸建て住宅の開発が相次ぐ。病院や商店街に近く、高齢者も歩いて暮らしやすい利点に気付いた住宅各社が建設している格好だ。復興住宅とあわせ、市街地の再建加速に役立っている。「震災で急減した中心部の人口が、震災前とほぼ同水準にまで回復した」(商工課の菊地正一課長)

 震災前の釜石市中心部は「シャッター通り」に近かった。イオンを中核に再建し、にぎわいを徐々に取り戻しつつある。子育て世代の住民らからは「仮設住宅の暮らしで買い物のしやすさなど中心部の便利さを実感し、沿岸部から移住を決めた」との声が聞かれる。

 ただ、コンパクト化は従来の住民のつながりを壊す危険性もある。高齢者や子供らの孤立を防ぎ、住民が生き生きと暮らしていくためにもコミュニティーの再生・維持が課題になる。

 被災市街地の再建は全国の自治体の将来モデルになる。医療機関など生活密着の施設は中心部で建て替え、核の形成には企業の力も生かす。こんな取り組みを進めれば人口が減るなかで中心部に住民を集め、コンパクトシティーができる可能性がある。東北復興の過程からは、そんなことが読み取れる。(村松進)

 ▼ 人口集中地区 国勢調査の結果で自治体に1平方キロメートル単位の網をかけて、網の中に4000人以上がいる地点をつないだエリアをいう。一般的に中心市街地を指す。英語では「densely inhabited district」で、頭文字を取って「DID」と略されることが多い。