デジタル化阻む既得権 変わりたくないDNA

検証コロナ 危うい統治(2)

教育も医療も日本のデジタル化はなかなか進まない

3月31日。NTTドコモは2018年に参入したオンライン診療のシステムサービスから撤退した。当時、公的保険の適用対象になったが、厚生労働省は医療機関に対面診療の維持など厳しい条件をつけた。医師の利用は広がらず、ドコモはこれ以上続けても採算にあわないと判断した。

その2週間後。厚労省は「新型コロナウイルス感染の期間限定」でオンライン診療を全面解禁した。院内感染を防ぐとの大義名分も立てた。早速1万超の医療機関が受け付けを開始。「職場から受診できます」「24時間予約可能」などと利用を呼びかける。

この動きは危機が収まれば、尻すぼみになる。日本医師会の松本吉郎常任理事はこう強調する。「特例中の特例、例外中の例外。緊急事態が収まり次第、通常の診療、すなわち対面診療に戻すべきだ」

ある開業医は明かす。「『都市部の医師やデジタルに詳しい若い医師に患者が流れる』との反対が地方に多い」。厚労省もこうした声を押し切ってまで実現しようとは思わない。

デジタル化は生活の利便性を高める一方、従来の仕事を変える。そこでとどまると、既得権を得た人が守られ、サービス水準も上がらない。教育も同じだ。

首都圏の教育委員会が4月、休校中の学校でオンライン授業を取り入れるか議論した。「生徒はそれで学べるか」「教室と同じような授業はできない」「セキュリティーも不安」。出たのはできない理由ばかり。この教委は学校に「可能な範囲で学習支援してほしい」と通達するにとどめた。

教委の仕事は設置する自治体と、住民の間で地域の教育を考えることだ。そこには教員の意向がにじみ、教員を困らせまいと守る発想が先に立つ。新たな指導法を身につける手間、保護者からの苦情を思いやる。

都内の中学校長は「どうせ慣れる前に元に戻る」と話す。現場に満ちるのは時間切れを待つ空気。日教組も「現場で十分活用するには準備不足」と応じる。文部科学省は予算獲得には前向きだが、動かない現場を引っ張れなかった。

欧米も同じか。コロナ危機でオンライン授業を進めた米ニューヨーク市。小学校の男性教員は「本格的に使っていなかったが、教育を持続するにはやるしかなかった」と話す。通信環境も悪く、保護者や生徒から「わかりにくい」との批判も受けた。それでも生徒のための試行錯誤を続けた。

政府のデジタル政策は21世紀に入って作った「e-Japan戦略」に源流がある。ここに「地理的、身体的、経済的制約にかかわらず誰もが必要とする最高水準の教育を受けられる」「遠隔地でも質の高い医療・介護サービスを受けられる」と目指す姿を描いた。

それから19年。ゴールは遠い。医師や教員の面倒を思い、やったふりでとどめる。それでは患者も子供も報われない。形だけのデジタル化は給付金の申請でもほころびを露呈した。危機が去ったあと、何事もなかったようにデジタルに距離を置くなら、結局、損をするのは国民だ。