Source: Nikkei Online, 2014年3月26日 7:00
![]() |
| 丹羽宇一郎(にわ・ういちろう) 1939年1月名古屋市生まれ。伊藤忠商事の食糧部門時代に穀物トレーダーとして頭角を現す。98年社長に就任すると翌年には約4000億円の不良債権処理を断行し、V字回復を達成。2010年6月、豊富な中国人脈が注目され、初の民間出身中国大使に起用された。書店経営だった生家で本に囲まれて育ち、財界でも有数の読書家。クラシック音楽鑑賞、書道、俳句と趣味も多彩。 |
最近、それなりの地位にある方が発言し、思いのほか騒動になったり反発があったりすると、すぐに撤回して火消しに努めようとする動きが目立ちますね。NHKの籾井勝人会長が1月下旬の就任会見で、秘密保護法について「あまりカッカする必要がない」、従軍慰安婦問題については「戦争をしている国ではどこにでもあった。オランダには今でも飾り窓がある」などと発言し、その後、騒動になると発言のほとんどを撤回したのが印象に強く残っています。
2月中旬には衛藤晟一首相補佐官が、安倍晋三首相の靖国神社参拝を「失望した」と批判した米政府に対し、「むしろ我々のほうが失望した」とするコメントを動画サイトで流し、後に菅義偉官房長官に発言の取り消しと動画の削除を求められ、応じたことがありました。
この二つのケース。発言を撤回もしくは取り消して、結果はどうなったでしょうか?事態は沈静化しましたか?するわけがありません。地位ある人間は一度発言すると、その言葉は矢のごとく飛び回り、追いついて捕まえることなどできないのです。
特に組織のトップの発言は最後の砦です。決してキャンセルできないし、もし舌禍事件となり事態が予想を超えて悪化すれば、トップは辞任するなりして責任を取らねばならないのです。トップの発言というのはそれだけ重い。
私が伊藤忠商事のトップだった時は、ある意味、発言がどう捉えられようとも公的なものではなく、限られた世界の話でした。問題になれば、その範囲内でトップとして責任をとればよかった。誤解されたのなら、誤解を解くように説明を尽くせばよい。本当に間違った発言をしてしまい、責任を取らなければならないなら、辞任するほかありません。あくまで企業のトップとして責任をとればいいわけです。
中国大使の時はちょっと事情が異なりました。読者の皆さんもまだ記憶にあるかもしれません。石原慎太郎・東京都知事(当時)が尖閣諸島の購入に動いた2012年6月、英フィナンシャル・タイムズの取材を受けた私は「東京都が尖閣を購入したら、日中関係に重大な危機をもたらす」と発言しました。
この発言は「日本の領土を日本が購入して何が悪いのか。何かを建てたり、上陸したりするのも自由のはず」と批判され、外務大臣からも注意を受けました。私は「迷惑をお掛けした」と謝罪はしましたが、発言趣旨の撤回はしませんでした。このような発言をすれば、どのような反発があるかはわかっていましたが、あのタイミングで尖閣購入に動くことは日中関係に利にならず、日本の国益にもプラスにならない考えがあったからです。
確かに、尖閣は日本の固有の領土であり、日本人の所有している島で、法律的に所有者が個人から都に変わっても日本国内では何の問題もありません。
しかし、過去の日中間の歴史の中で、尖閣諸島がどのように扱われてきたのかを鑑みると日本国内のロジックだけでは割り切れない問題なのです。中国側には「尖閣問題は棚上げされている」との認識があるからです。1972年の田中角栄総理と周恩来首相(肩書はいずれも当時)の会談で、尖閣問題が俎上(そじょう)にのぼったものの、結局、結論を出さずに先送りで終わったとされています。中国はそれから国力を増し、勢力圏拡大に意欲を燃やすようになりました。あのタイミングで尖閣購入に動けば、中国が強硬な対抗措置をとる口実を与えるだけだったのです。
批判は受けましたが、日本の国益を考えたうえでのことだったので撤回する意思はありませんでした。中国をよく知る日本人の多くは私の発言を支持してくれましたが、残念ながら日本にはそういうことは伝わらなかったようです。繰り返しになりますが、昨今、一部の日本のトップ層は発言に対し責任をとるという姿勢が、どこか薄らいでいるのではないでしょうか。