古賀信行 私の履歴書(野村ホールディングス名誉顧問)
福岡市博多区の伝統の夏祭り、博多祇園山笠。男たちが山笠を担いで市内を疾走する「舁(か)き山笠」が、2022年に3年ぶりに復活したそうだ。
私も山笠の上に乗る「台上がり」を経験したことがある。18年7月13日。フィナーレとなる「追い山」の2日前、「集団山見せ」だ。この日は博多にゆかりのある知名人などが山笠に上がるのが恒例になっている。
私も祭りの存在は知っていたが、台上がりを経験するとは思ってもみなかった。縁あって選んでいただいたのは、本当に幸運だった。
山笠は「流(ながれ)」と呼ばれる町内の集まりごとに、7つつくられる。私は西流の推薦を受け、恵比須流の山笠に乗った。
当日の午後、博多の総鎮守である櫛田神社に行き、裸になって締め込みを入れてもらう。相撲の回しと同じだ。法被や鉢巻きなども身につけてからお参り。出発の順番は年によって変わる。その年の恵比須流は3番目だった。
進行方向側の台の左に座り、見よう見まねで鉄砲と呼ばれる赤い指揮棒を持ち上げるように振りながら、舁き手たちに掛け声をかける。
オイッサ!オイッサ!
壮麗な山笠が市内を駆け足で進んでいった。
よく晴れた日だった。約1トンあるとされる山笠を交代で肩に乗せ、運ぶ多くの舁き手。沿道を埋めた見物客。コースの各所で時折かけてもらう勢い水。太陽の光で風景すべてが光って見えた。
至福の時間を過ごしながら、私はまったく別のことも少し考えていた。
この連載で記したとおり、1990年代後半に、野村証券は総会屋親族企業への利益供与事件を起こした。社長だった酒巻英雄さんや元総務担当常務の藤倉信孝さん、元株式担当常務の松木新平さんらが逮捕された。私も野村証券の代表者代理人として、3人とともに、14回の公判にすべて出た。うつむきながら眺めていた裁判所の床の傷や模様まで覚えている。
野村は不祥事を再び起こさないと誓い、反社会勢力との取引をチェックする総務審理室を新設した。助言を仰ぐために警察から何人かの参与も来ていただいた。私を台上がりに推薦してくれたのは、福岡県警察本部総務部長から野村の福岡支店の参与になっていた生嶋亮介さん、今の福岡県副知事だ。
博多祇園山笠を支えているのは「のぼせもん」、職業や肩書、世代を超えて山笠のことを年中、熱心に考える方々だ。生嶋さんは西流ののぼせもんだ。
野村が事件を起こさなければ生嶋さんのことも存じあげず、台上がりを経験することもなかった。
オイッサ!オイッサ!
夏の日の午後、街に響く掛け声に包まれながら、私は酒巻さんたちのことを思った。あの方々に私を利する気持ちがなかったことは、公判を通じて痛いほど感じ取れた。3人は罪をつぐなった。しかし退職金は支払われなかった。今も時折申し訳なく思う。
集団山見せが終わり、私は恵比須流の直会(なおらい)、ちょっとした酒宴にうかがった。お酒を1杯いただき、次に推薦してくれた西流の直会に足を運んだ。そこでもお酒を飲み、地元の方々の前で「博多祝い唄」を1人で歌った。何とも大胆なことをしたものだ。
私にとって人生のご褒美と言える一日になった。