日銀の自縄自縛で進む円安

人生100年こわくない・マネー賢者を目指そう(熊野英生)

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Nikkei Online, 2023年9月29日 4:00

記者会見する日銀の植田総裁(22日、日銀本店)

9月22日の日銀金融政策決定会合後の記者会見で、植田和男総裁は年内利上げの可能性について否定的であった。それに先だって、「物価・賃金データがそろえば、年内利上げもゼロではない」と新聞取材で発言したとされていただけに、手のひらを返したようだった。

ならば、為替は円安に向かうだろう。円相場は1ドル=150円に接近している(図表)。9月の米連邦公開市場委員会(FOMC)では、2024年末の政策金利見通しが5.1%と前回(4.6%)よりも引き上げられた。米連邦準備理事会(FRB)がそう簡単に利下げをしない構えを鮮明にしたために、米長期金利は4.5%近くまで上がり、ドル高・円安が進んでいるのだ。

政府は行き過ぎた円安望まず

思い出すのは22年10月の円安だ。為替市場では1ドル=151円90銭台まで円安が進行。政府は3度の為替介入に踏み切り、それによって円高に押し戻された。円安は輸入物価を高騰させる。国民は物価上昇の痛みを嫌うから、政府も円安に歯止めをかけるべく、為替介入を実施した。しかし現在、日本は米国から為替操作国の監視対象国から外されている。だからこそ、日本は再び監視対象になることを恐れ、今回は前回ほどの大規模な介入には動けないのだろう。

政府には物価を巡って頭の痛い問題がある。9月末にガソリンなどに対して実施していた補助金の支援策が期限切れになる。ひとまずは12月末まで支援策を延長する。電気・ガス代についても、9月末で終了するはずだった補助金を延長する方針を決めている。

政府の立場は、
 ①これ以上の円安を望まない
 ②物価対策を講じて10月以降のガソリン、電気・ガス代の抑制を行いたい、
というものだ。
ならば筋を通して考えると、日銀に早急に金融緩和の修正を求めるべきだとなる。
日銀に対し安定的に 2%の物価上昇を望むとしてきたコミットメントを達成したことにして、マイナス金利の解除へ動くことを要請するのだ。

日銀は政府との間で共同声明を結び、2%のインフレ目標達成を目指してきた。この約束が日銀を過剰に慎重にさせてきたことは明白である。だからこそ、政府が「もう良いです」とお墨付きを与えて、日銀の自縄自縛を解いてやらなくてはいけない。仮に岸田文雄首相が共同声明を結び直すと言えば、それだけで為替レートは円高方向に向かうはずだ。

少し前の経緯を話すと、植田総裁が就任したときに共同声明を結び直すチャンスがあったが、岸田首相はそれを見送った。安倍晋三首相時代のリフレ政策に執着する人々におもねった可能性もある。

これが、岸田政権が政策的矛盾を抱える火種になった。まず、金融緩和によって生じた輸入物価高騰を財政資金で穴埋めしている点が矛盾だ。国民が腹を立てているのは、エネルギーよりも食料品の方だ。こちらは円安である限り価格高騰が続く。

さらにガソリン補助金にも矛盾がある。高騰した輸入コストを補助金で引き下げると、ガソリン消費量は減らなくなる。貿易赤字は拡大して、それが円安を招く。ガソリン価格がまた上昇して、余計に補助金を必要とする。岸田首相が日銀の金融緩和解除を縛る共同声明を見直さない限り、根本的な物価対策にはならない。

マイナス金利解除の限界

年内利上げは早すぎるとしても、マーケットの投資家たちはそう遠くない将来に、日銀のマイナス金利解除があるとみている(筆者も24年4月末だとみる)。

そのためにはインフレ率が「安定的に2%を上回る」という縛りを解く必要がある。この「安定的に」という日本語は曖昧な言葉である。「2%を上回る」ではなく、「安定的に2%を上回る」とするだけで意味が全く違ってくる。「安定的に」が入ると、今後2%を割ってはいけないという意味に変わる。すでに消費者物価は3〜4%もの上昇率でとっくの昔に2%を上回っている。日銀が3〜4%ものインフレを無視しているのは、いずれ上昇率が反落する可能性を否定できないからだ。

2%を割り込まないようにするためには、下方硬直的なサービス価格が底上げされ、かつ春闘のベースアップが毎年2%以上の上昇率に高まることが必要になると、筆者は考える。

ただし、マイナス金利解除 = 円高になるかは不確定だと思われる。それを理解するには議論をもっと深く掘り下げる必要があり、具体的にマイナス金利解除の先の話をすればわかる。もし日銀が安定的に2%の物価上昇を展望できたならば、短期金利をマイナス0.1%から0.1%、その次に0.25%へと引き上げられるだろうか。さらに欧米のように、そこから0.50%、1.00%へと段階的利上げに進めるだろうか。

筆者の見方は、先々の利上げもまた苦難の道というものだ。マイナス0.1%の短期金利を引き上げるとすれば、日銀にとって当座預金の保有者である民間金融機関への利払い費負担はどのくらい生じるだろうか。仮に0.10%までの短期金利の引き上げであれば、0.20ポイントの利上げ幅になる。

短期金利が0.10%になると、今まで水面下にあり意識されなかった問題が浮上してくる。例えば、日銀当座預金への付利を行い0.10%分の利息を金融機関に支払うことになる。500兆円以上もある当座預金のうち、準備預金適用残高(7月末473兆円)に対して0.10%の付利を行うと年間利払費は約5000億円になる。これくらいならば問題はないが、付利を0.50%にすると年間2.4兆円もの負担増になる。22年度の日銀の当期剰余金は2.0兆円なので、計算上、赤字に転落する。

マイナス金利をすぐに解除しても、長期国債を市場で売却しない限り、当座預金の付利による負担増が収益を圧迫するという問題が生じる。だから、日銀の利上げはそれほど大胆にはできない。

また、よく話題にされるのは、長期金利上昇に伴う長期国債の含み損の問題である。もちろん、日銀は保有国債をすべて時価評価する訳ではない。それでも含み損を計算したときに、日銀の自己資本がマイナスになると、バランスシートに穴が開いたように見える。そうすると、円の信用を担保する中央銀行の資産内容が劣化して円安を助長することになりかねない。

もしも日銀がマイナス金利を解除すると、隠れた問題が浮上し、利上げに伴う弊害が意識されて、なかなかそれ以上の利上げは難しいという見方が出てくる。すると、日米金利差が縮小するとしても、その幅は限られるという思惑から、円高よりも円安の方に傾くと筆者は見ている。

おそらく、現在はそうした隠れた問題の存在を、マーケットは十分に気付いていない。まだ「マイナス金利の解除は円高要因だ」という先入観にとらわれている。もしも日銀が本気になって趨勢的な円安を止めようとするなら、欧米ほどではないにせよ、いずれ段階的利上げに動かざるを得ないと思える

熊野英生(くまの・ひでお)
第一生命経済研究所首席エコノミスト。1990年横浜国大経卒、日銀入行。調査統計局や情報サービス局を経て、2000年に第一生命経済研究所入社。11年より現職。
日本ファイナンシャル・プランナーズ協会常務理事。
山口県出身。近著に「インフレ課税と闘う!」(集英社)。

[日経ヴェリタス2023年10月1日号]


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