「低学歴国」ニッポン 革新先導へ博士生かせ

教育で人を育て国を立てる。日本の近代化と経済成長を支えた「人材立国」のモデルが揺らいでいる。成長に必要な人材の資質が変わったのに、改革を怠るうちに世界との差は開いた。教育の機能不全を招いた岩盤に迫る。

「Ph・D(博士)が活躍する職場をつくりたい」。フリーマーケットアプリ大手のメルカリは今年から国内の大学院博士課程に社員を送り出す。研究職の社員以外も対象で、原則3年間の学費を支給。時短勤務や休職を認め、仕事と研究の両立に道をひらく。

テーマは同社に有益で、経済発展や社会課題の解決につながるなら何でも可。6月までに5人程度を選ぶ。マネジャーの多湖真琴さんは「企業で働く博士のロールモデルにしたい」と意気込む。

大学院教育を通じた人材の高度化に経済界が期待を寄せ始めた。

世界はとうに博士が産業革新をけん引する時代に移っている。山口栄一・京都大名誉教授らによると、米国では革新的なベンチャーを政府が支援するSBIR制度で、対象企業の代表者の74%が博士号を持つ。

経営共創基盤の冨山和彦グループ会長は米国の大学院について「今は存在しない仮説を立て、検証して一般的通用性を証明する。米国でPh・Dを取るまでの知的訓練は破壊的イノベーションそのもの」と強調する。

大学教育が普及し、教育水準が高い――。そんなニッポン像は幻想で、先進国の中では「低学歴国」となりつつある。

文部科学省科学技術・学術政策研究所によると、日本は人口100万人当たりの博士号取得者数で米英独韓4カ国を大きく下回る。減少は中国も加えた6カ国中、日本だけだ。2007年に276人いた米国での博士号取得者も17年は117人に減少。国別順位は21位だ。

注目度の高い科学論文数の国際順位は1990年代前半までの世界3位が2018年は10位に落ちた。同じ平成の30年間に産業競争力も低落。イノベーションの担い手を育てる仕組みの弱さが産学の地盤沈下を招いた。

根っこには大学院への評価の低さがある。どの大学に合格したかが企業の採用基準になる社会では、学びは学部に入った時点で終わり。研究を志す学生だけが集う大学院の魅力が高まるはずはなかった。過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」も大学院軽視の岩盤を強固にした。

危機感は広がる。中央教育審議会の渡辺光一郎会長(第一生命ホールディングス会長)は「私の世代までは学部卒でも何とか堪えられた。これからは違う。大学も企業も変わり、仕事と学びの好循環を実現すべきだ」と語る。その芽はある。

早稲田大を幹事校とする国公私立の13大学が18年に始めた「パワー・エネルギー・プロフェッショナル育成プログラム」。大学に限らず、企業などで脱炭素を含むエネルギー分野の革新に貢献できる博士を育てる。

電力・エネルギー分野の博士人材を育てる
早稲田大などのプログラム(2019年)

各大学の学部からの進学者に加え、大手商社や電力会社の社員も参加。企業実習やビジネスアイデアを練る演習を通じて磨き合う。統括する林泰弘早大教授は「交渉力やマネジメント力も備えた世界で戦える博士を輩出したい」と意気込む。

文系の大学院も教授の後継者を育てる場から脱皮する必要がある。関西学院大の村田治学長は「学問で身につく大局観や学び続ける習慣、科学的に人を説得する技術は経営者になる訓練として有効だ」と指摘。教員の意識改革を求める。

最大の課題は岩盤を砕くドリルが見えないことだ。文科省は義務教育の管理官庁の性格が強く、高等教育政策の司令塔としての存在感は薄い。多くの企業も院卒採用のノウハウがなく大胆な一歩を踏み出せずにいる。産学官が連携してビジョンを描き、実行することなしに危機は脱せない。

<< Return to PageTop