Source: Nikkei Online, 2024年8月12日 7:03更新
パリ五輪は11日夜に閉会式が行われ、祭典に幕を下ろした。大会中、チケット販売枚数は史上最多の950万枚を超え、新型コロナウイルス禍に見舞われた3年前の東京大会では見ることができなかった祝祭の姿が戻った。
「これがオリンピックか」。レスリング男子で金メダルを獲得した文田健一郎は感激していた。試合翌日に訪れたのは、エッフェル塔を間近に望むトロカデロ広場。夏季五輪では初めてメダリストを祝福するイベントが毎夕催され、1万人がスタンドを埋めた。
文田のように、東京で無観客という異形の大会を経験したアスリートたちが初めて味わう本物の五輪だった。アスリートと観客が一体となってつくりあげた17日間は、そこに居合わせた者たちに紛争や社会の分断と隣り合わせの日常さえも忘れさせる興奮があった。
東京からの反動だけでなく、パリの演出力も五輪の魅力を再認識させたといえる。いずれもパリ万博のために造られた建物で、フェンシングが行われたグラン・パレとバレーボール会場になった南アリーナ。天井高くまで組み上げられた仮設スタンドは連日、観客の足踏みで大きく揺れた。
今大会のために新しく造られた会場はごくわずかで、名所や伝統のある施設が多く活用された。セーヌ川の水質問題などもあったが、無駄に経費をかけることなく、パリの街そのものを五輪公園に変身させた大会計画と運営は、持続可能な五輪の一例となったのではないか。
様々な国旗が揺れ、選手の国籍に関係なく熱い声援が送られた会場にいると、つい忘れかけた現実がある。「ロシアの不在」だ。
2015年に国ぐるみのドーピング不正が明るみに出て以降、条件・制限付きの参加が続いたロシアは今回、ウクライナ侵略で事実上、大会から締め出された。 「個人資格の中立選手」として参加したのはわずか15人。 米中と並ぶ3極の1つが消え、メダルの行き先は分散した。 連日のメダルラッシュに沸いた日本も、ロシア不在の分与にあずかったといえるのかもしれない。
近年の大会に何かと影を落としてきたロシアがいないことで、ドーピング問題など混乱もほぼ起きなかった。 終わってみれば、アスリートも観客もロシアがいなくても物足りなさや影響を感じることはなかったのだ。
もっとも、「参加することに意義がある」という五輪精神に立ち返れば、ロシアを排除して万事解決となるはずがない。 国際オリンピック委員会(IOC)は個人参加を保証したが、参加資格を得たロシア国籍の選手がごくわずかだった現実は、国家の支援から切り離されては戦えない、アスリートのよるべない境遇を物語っている。
国連決議の「五輪休戦」を無視して侵略を続ける大国を、スポーツの祭典にどうやって回帰させるか。 パリ大会は盛況のうちに競技を終えたが、五輪は競技場の中で公平な競争を成立させるだけでなく、外の世界へ「理想郷」を広げる使命を自負している。 国際平和への貢献、多様性に満ちた差別のない社会の実現……。
ゴールは2年後のミラノ・コルティナダンペッツォ冬季大会、4年後のロサンゼルス夏季大会よりもずっと先にあり、道はなお険しい。
(パリ=鱸正人)