ゴッホ 新イメージ
芸術思想史家 木下長宏
Nikkei Online, 2020年6月24日
(6)「芽の生えた玉葱のある静物画」
ゴーギャンとの共同生活は、ゴッホの発作という事件で悲劇的な結末に終(おわ)った。ゴーギャンはアルルを去り、彼自身はアルルの病院に強制入院させられた。絵によって恵まれない人々を救おうなどと考えていた自分が、救われなければならない身に転落したのだ。
繰り返し襲ってくる発作との闘いに憔悴(しょうすい)し切った時、慰め励みになったのは絵を描くことだった。
小康状態の日、退院を許され古巣の家に戻った。芽が生えて食べ物ではなくなった玉葱(たまねぎ)が、主人の居ない家に転がっている。
同じ「草の芽」でも、これまで描いてきた「芽」と意味が違う。
そんな玉葱に「健康年鑑」を添えてみた。みずからの再生への願いを込めて。
同じテーブルに、炎をつけた蝋燭(ろうそく)。そしてパイプと煙草の葉。ゴーギャンがこの家に居た時愛用していた椅子を描いたことがある。その上に載せた蝋燭だ。パイプと煙草の葉は、自分の椅子の絵の、その上に載せたのだった。
懐かしい日々の思い出の近くにテオの手紙も置き、激しかったこの数週間の感慨を塗り込めた。すべてを知っているのは萎(しお)れた玉葱の芽。
(1889年、49.5×64.4センチ、クレラー・ミュラー美術館蔵)