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ゴッホ 新イメージ

芸術思想史家 木下長宏

Nikkei Online, 2020年6月29日

(9)「烏の群れ飛ぶ麦畑」

サン・レミの病院を出て、オーヴェル・シュル・オワズに移った。パリから汽車で1時間。ゴッホはここに来て2カ月後の7月末、ピストルをお腹(なか)に撃って、37歳の生涯を終えた。

1年の鉄格子生活から解放されたゴッホは、爽やかに明るい村の風景を描きに描いた。2カ月余りに油彩画だけで70点を超える。

自殺か否か。議論は尽きない。

村の南を流れるオワズ河は、水面に空の青と岸の緑を映して限りなく美しい。だが、ゴッホはそんな美しさに眼もくれず、村の素朴な家々や麦畑、人々の姿を描いた。

この絵は、7月の収穫を待つ麦の金色が躍動する絵だ。背景の空の藍との強い対比や群れ飛ぶ烏(からす)を、彼の自殺に結びつけ、不吉な作品と解釈されてきた。

麦畑の中央を一本の道が通っている。道の奥、画面の向こうに森がある。細い急斜面の下り坂が続き、抜けるとガシェ邸がある通りへ出る。この暗く険しい小径を、ゴッホは何度も往き来しただろう。

その暗い闇から明るい麦畑へ出た時の、眩(まぶ)しく光に包まれる感動を、ゴッホは描こうとしたのではないかと、森の道を知った時、気がついた。

(1890年、油彩、ファン・ゴッホ美術館蔵)