Source: Nikkei Online, 2023/5/24~2023/6/07
前回紹介した「餓鬼草紙(がきぞうし)」には、よく目を凝らすと版木を手にして印仏を捺(お)す人物が描かれている。これは陀羅尼(だらに)を唱えながら行う声の作善である。摺(す)り上がった印仏を仏像内に納めることがあり、中世の印仏をタイムカプセルのように現代に伝える。
本作は、奈良・興福寺の千手観音像納入品として伝わったもので、裏面に「承久四年 一千二百十七躰 六月分也」の墨書がある。5メートルを超す同像は、治承4年(1181年)の南都焼き討ちで甚大な被害を受けた興福寺の再興事業の一環として、鎌倉時代初頭に完成した。像内におびただしい数の経巻、仏像、仏画、鏡、五輪塔、そして印仏3248枚が納入されていた。本作はその中の一枚。
承久4年(1222年)6月という年記に注目すると、その1年前に後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げた承久の乱が思い起こされる。敗北した上皇が配流になるという未曽有の混乱が、再び朝廷やこれを護持する大寺院を揺るがしていた。連続する戦の時代、巨大な千手観音に向けられた陀羅尼の声が、印仏を通じて像内にこだまする。今からちょうど800年前の祈りである。(鎌倉時代、紙本、墨印、縦40×横28.5センチ、奈良国立博物館蔵)