Source: Nikkei Online, 2023/5/24~2023/6/07
銀の月が照らし出すのは、ほのぼのとした男女の戯れ。
平安時代中頃、一条天皇の中宮彰子(しょうし)に仕えていた紫式部が記した「紫式部日記」は、鎌倉時代に絵巻の題材となる。この場面に描かれるのは、寛弘5年(1008年)10月の出来事。先立つ9月に父・藤原道長の邸宅土御門(つちみかど)殿で敦成(あつひら)親王を出産した中宮に、紫式部ら近習の女房たちも付き従っていた。
その夜、藤原実成(さねなり)と藤原斉信(なりのぶ)が、女房の居住する局(つぼね)に立ち寄り声をかけた。2人は、后妃に関わる事務を司(つかさど)る中宮職(ちゅうぐうしき)の役人で、紫式部にとっていわば同僚。
格子の上半分を勝手に引き上げ気やすく声をかける彼らに、はじめは返事もしなかった女房たちだが、そのうちわずかに言葉を交わすと、男たちは益々(ますます)機嫌よく、「今日の尊とさ」などと催馬楽(さいばら)の一説を口ずさむ。格子の下半分も外せとせがむ彼らに、紫式部は「年若い女房なら許されようが、自分のような者がどうしてそんな無分別ができようか」と考え、戯言に取り合わなかった。実にそっけない対応だが、それなりに華やいだひと時であったのだろう。彼女はそれを日記に書き留めた。(13世紀、紙本着色、21×50.3センチ、五島美術館蔵)