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秋さやけく(3)菱田春草「菊慈童」

滋賀県立美術館主任学芸員 田野葉月

Source: Nikkei Online, 2023年9月27日 2:00

中国の周時代、穆王(ぼくおう)に仕える少年が人里離れた山に配流され、王に授かった法華経の経文を菊の葉に記すと、そこから滴り落ちた露は霊薬で不老不死の身になった。この菊慈童(きくじどう)の伝説をもとにした、菊見をし、菊酒を飲み、菊の花にかぶせ夜露と香りを染み込ませた菊の被綿(きせわた)で体を拭いて、長寿を願う行事が宮中で催された。陰陽思想で最も大きな陽の数(奇数)の9が重なる9月9日に厄を払う、重陽の節句の行事である。

本作は節句に飾る図に必要な少年、菊、水流のモチーフはいずれもささやかで、紅葉した山深い谷の絵画化に主眼がある。少年を700年以上も住まう神秘なる存在として際立たせたい春草の意図が当時は伝わらず、濁った色彩と曖昧な形から朦朧(もうろう)体と呼ばれて批判された。

明治時代に岡倉天心が日本画を革新しようと画家へ出した課題のひとつは、西欧における自然科学的な空気や光線を表現することである。さらに観念的な画題や感情表現の工夫として、春草は金の使用を含む色調と明確な輪郭線を伴わないぼかしの背景による構図で鑑賞者の想像力を動員しようとした。紅葉の山水画を描いて、菊慈童の長寿伝説の神秘性を表そうとした作品である。
(1900年、絹本著色、軸装、181.1×110.7センチ、飯田市美術博物館蔵)