Source: Nikkei Online, 2023年10月16日 2:00
奈良・興福寺の国宝「阿修羅像」。「乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)」のうちの一軀(いっく)で、三面六臂(さんめんろっぴ)――3つの顔と6本の腕を持つ美しい少年の仏像として大変人気の高い一軀である。3つの顔はそれぞれ幼少期、思春期、青年期を表しているといわれ、この阿修羅のたたえる憤怒というには優しい、しかし憂いを帯びたなんともいえない表情も、多くの人々を惹(ひ)きつける理由であるといえるだろう。
阿修羅像を刺繍(ししゅう)で表したのがこの阿修羅図である。漆に浸した麻布で作られる乾漆像の質感から、その繊細な髪の毛の表現まで、異なる素材である絹糸で忠実に写し取ろうとしている本作。胸元の瓔珞(ようらく)の飾りもその繊細さと異なる質感を十分に伝えている。
明治の初めより海外への輸出を見据えて制作された刺繍(ししゅう)絵画。明治の後半になると、異なる素材をまるでそのもののように写しとる「似せる」技術への探究が行われはじめた。木彫や漆工、金工作品を模した刺繍作品が作られる一方、実在の人物、歴史上の人物を問わず肖像画の刺繍も盛んに行われた。この阿修羅図はそうした刺繍界の流れの中に位置づけられるものである。
また異なる文化と出合ったことで日本のアイデンティティーを求めたゆえか、またそれが海外でも人気を博したゆえか、さまざまな仏像の刺繍作品も同時に生み出されていった。
(明治〜大正時代、54×68.5センチ、清水三年坂美術館蔵)