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世界を魅了 明治の刺繍(8)「波濤図」

北野天満宮北野文化研究所室長 松原史

Source: Nikkei Online, 2023年10月19日 2:00

V&A Image/ ユニフォトプレス提供

写真や油絵を思わせる波の風景画。縦横無尽に細い糸を使って描かれ、水飛沫(みずしぶき)すらも感じさせる波の造形は、刺繍(ししゅう)だと聞いてから見ても二度見してしまうほど写実的である。

世界でも有数の装飾美術のコレクションを誇る、イギリスのヴィクトリア&アルバート美術館。通称V&Aには帛紗(ふくさ)や壁掛け、着物ガウンなど日本から海を渡った刺繍作品が多数収蔵されているが、その中でも最も繊細な刺繍が施された作品がこちらの波濤(はとう)図である。波間で風に煽(あお)られつつ飛びかうカモメは、爪の先よりも小さなサイズながら、その羽先の色の変化まで忠実に繍(ぬ)い表されている。

近代を迎え絹糸の輝きを生かしたおおらかな刺繍から、写実的な刺繍へと主流が変化していった時代、刺繍職人たちには「絵心」を習得させるべく、風景のスケッチや動物や鳥類の剝製などの対象物をそばに置いての刺繍の鍛錬、果ては立体感を表現すべく彫刻の教授までもが行われていたという。手先が器用なだけでは対応できない、針足はよめても再現できない刺繍がここにはある。
(明治〜大正時代、48.3×67.3センチ、ヴィクトリア&アルバート美術館蔵)