公益を守る国家緊急権 損害補償、社会全体で負担を

疫病の文明論(3) 橋爪大三郎(社会学者)

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100年前にはスペイン風邪が流行した(写真 Newscom/アフロ)

ヨーロッパ人のもたらす疫病に新大陸の人びとは苦しんだ。ラス・カサス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」(岩波文庫)は、400年前の壊滅的な被害を記録する。レヴィ=ストロース「悲しき熱帯」(中公クラシックス)も、感染症の悲惨を描く。

パンデミックは繰り返す。100年前はスペイン風邪。その再来が新型コロナだ。当時より医療も情報も整っている。どう戦うか。政府の役割が大きい。人員と予算と権限がある。必要な措置がとれる唯一の組織だ。

コロナウイルス自体は自然現象だ。科学や医療が扱う。それに対し、ヒト―ヒトの感染は社会現象。公衆衛生の問題で、政府の介入が有効だ。

新型コロナ感染の拡大は緊急事態だ。市民を守るため政府は行動する。優先順位は何だろう。まず、人命。救える命をひとりでも多く救い、死者の数を減らす。社会的距離を取り、外出を厳しく規制し、感染を防ぐ。医療の態勢も整える。

これらは痛みを伴う。商店を閉じ工場を止めれば損害が出る。私権も制限される。でも実行するのは公益のためだ。

公益(人命を救う)→措置(政府の介入)→損害(コスト)。損害は誰か一部に集中しがちだ。公益のため生じた損害を社会全体で負担しよう。つまり補償だ。それが正義で感染防止のカギだ。

政府はこの点をはっきりと説明すべきだ。

緊急事態に政府が必要な行動をとるのが、国家緊急権である。法の定めによる場合も、法を超える場合もある。伊藤博文は「憲法義解」(岩波文庫)で、緊急勅令と議会の関係を明確にのべている。帝国憲法には緊急時の備えがあった。

パンデミックは緊急事態。でも地震や戦争とは違う。地震は、電気・水道・ガス・電話などライフラインを破壊する。住居も物流も壊す。戦争は空襲で、都市を破壊し住民の命を奪う。復興に何年もかかる。新型コロナの場合、家にいるだけでよい。ライフラインは無傷だ。企業や学校が休みでもひたすら我慢する。それが戦いである。

接触を8割減らしましょう。ライフラインは動かすので、ほかは9割減以上でないと8割にならない。でも働かないと、生計が立たない。そこで所得を補償して家にいてもらう。政府の措置でうまれた損失だからだ。

補償は、景気対策でも経済の話でもない。公益のため払ったコストへの埋め戻しにすぎない。そして補償はすぐ払うべきだ。ただ財源を、税金で集めている暇がない。ならば赤字国債でまかなおう。巨額でも仕方ない。それで生活でき、企業が破産しなければ、将来の回復への道筋がつく。

橋爪大三郎氏

こんなことは経済学の教科書のどこにも書いてない。でも欧米各国は、こうした政策を素早く打ち出した。わかりやすく市民に説明もした。パンデミックにどう対応し、措置を取るのか、日頃(ひごろ)から研究ずみだった。

補償は正しいのか。戦争被害は補償しない。自然災害も補償しない。古代からの慣習法だ。だが外出制限は政府が決定したから政府の責任だ。公益のために憲法上の権利を制限し、損害もある。補償するのが正しい。

政府には感染症や経済の専門家がついている。でも専門家は専門しかわからない。政府は感染と経済を両方踏まえつつ、公益を守る。日頃の哲学の素養がものを言う。

財政規律が大事で赤字国債はよくない。平時の原則である。緊急時は別だ。市民と企業が生き延びなければ明日はない。外出制限は厳格なほど短くてすむ。補償もする。経済の話はその後だ。