ウイルスが変える建築の形 「衛生的な都市」問い直す

疫病の文明論(6) 五十嵐太郎(建築評論家)

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犯罪者を乗せてオーストラリア行きを待つ英国の監獄船
(19世紀初頭、木版画)GRANGER.COM/アフロ提供

日本にとっては横浜港に停泊したクルーズ船の集団感染がプロローグとなり、今や列島全体がクルーズ船と化した。2月に報道を見ながら思い出したのが、18世紀から19世紀にかけて、イギリスの川岸や海岸に係留された監獄船である。

監獄に囚人があふれ、廃船を活用したが、衛生状況が悪く、多数の死者が出たという。クルーズ船の旅は筆者も経験したことがあるが、超高層ビルを横倒しにしたサイズよりも大きく、旅客と乗組員を合わせると4000人を超え、動く小都市というべき乗り物だ。が、空母でも感染が発生したように、一度、閉鎖された環境で感染が始まると、手に負えない。一方で陸地との隔離や機動性ゆえに、病院船の存在も注目されている。

実は空気の流れが、病院建築の重要な課題として認識されたのも、衛生観が変化した18世紀に遡る。ウイルス学の登場前だが、腐敗した空気は害を及ぼすと考えられたからだ。その結果、18世紀末には呼吸する機械としての病院デザインが、建築家によって提案されている。

白色を好み、「衛生陶器」と揶揄(やゆ)されたモダニズムの建築も、健康を重視した。例えば、ル・コルビュジエの有名なサヴォワ邸は、本体を持ち上げるピロティが、じめじめした地面と切り離すことで風通しを良くし、屋上庭園は日光を浴びる運動を想定している。彼がパリの中層の街並みを否定したのも、集合住宅を高層化すれば、足元の開放が可能となり、都心に緑地や公園を増やし、衛生的な都市が成立するからだ。

しかし、現在は都市の密集状態こそが、最大の危険である。フランク・ロイド・ライトは、自動車社会のアメリカらしく、田園に分散して居住するブロード・エーカー・シティを提唱した。彼の構想もすでにラジオや電話などの存在を前提としていたが、ネットの通信技術が発達した現在、遠隔の仕事やコミュニケーションはさらに簡単になっている。3.11は、東北ですでに起きていた過疎化や少子高齢化を加速させたように、今回の厄災は、社会のオンライン化をいや応なく促進するだろう。

災害や戦争と違い、ウイルスは建築を物理的には破壊しない。人だけを攻撃する。したがって、ピカピカの都市に人が不在のシュールな風景が出現した。建築の立場からは、廃虚を復興させるような貢献はできない。ただし、被災直後の避難所や仮設建築の方法論は使えるだろう。中国・武漢で瞬時のうちに建設された巨大な仮設病院も記憶に新しい。日本では、圧倒的な病床不足を解消すべく、すでに軽症者をホテルで受け入れたり、幕張メッセなどの大規模施設を臨時病院に転用することが検討されている。横浜の武道館に収容されたネットカフェ難民に対し、飛沫感染予防をかねて、坂(ばん)茂は災害時に活躍した紙管の間仕切りシステムを持ち込んだ。

五十嵐太郎氏

これから台風や地震が発生した場合にも問題になることだが、避難所で人が密集できないのが、新型コロナウイルスの厄介なところだろう。従来、人が集まるのは、良い建築であると、無条件で考えられていた。しかし、その前提が完全に覆ったのである。

どうすればいいのか。頭に浮かんだのは、2003年に藤本壮介が安中環境アートフォーラムのコンペ最優秀案(計画が凍結され、実現せず)で示した空間モデルだった。これはアメーバのような輪郭の建築であり、空間の形式として説明すると、ヒトデの触手のごとく多方向に突き出した空間が並ぶが、閉じた部屋ではなく、それぞれは中央に向けて開く。したがって、隣の空間とは二重の壁で仕切られているが(たぶん音は聞こえる)、壁で隔てられていない対面の空間とは大きな距離がある。つまり、集まっているけど、同時に離れてもいるのだ。これは実際に住宅で応用されたように、スケールを変えたり、かたちを調整することで、様々に汎用できる空間モデルのように思われる。