Nikkei Online, 2023年1月28日 8:07
感染症法上の「5類」への移行がようやく決まった。政府が検討を始めたのが昨年秋ごろ。遅すぎたといえる。
各国の感染者数推移のグラフを眺めると、日本ほど流行の波が一定周期できれいに描かれた国はあまりない。この1年、ワクチンが普及し飲み薬も登場、インフルエンザと同じ対処が可能になったにもかかわらず、昨年夏の「第7波」とこの冬の「第8波」では最多の死者数になった。
新型コロナウイルスは大きく2つに分けられる。最初に中国・武漢で見つかったウイルスからアルファ型、デルタ型と続いた「従来型」と、21年11月以降、変異を続ける「オミクロン型」だ。新ウイルスともいえるオミクロン型は免疫を回避することで感染力が強まったが、その分、病原性は衰えた。従来型でみられた「なぞの肺炎」も減った。
にもかかわらず、日本の対策は従来型から抜けきれなかった。ある程度の感染拡大を覚悟して策を講じるべきだったが、波が訪れるたびに、病床が埋まり、医療が逼迫する。「いつかみた光景」が繰り返された。感染症対応という日本の医療のアキレスけんがあらわになった。
科学的、医学的なデータをコロナ対策の武器とする戦略も乏しかった。英国ではワクチン接種者のその後を追い、効果を検証して次に生かそうとする。米国では薬局で検査から飲み薬の処方まで一貫して対応できるようにし、医療機関への負担を減らす。
外すか否か。世間の大いなる関心にもなったマスク。個々でみれば飛沫を防ぎ、感染の広がりを抑えるのは確かだが、「社会の着用」によって感染者数や死亡者数をどれほど減らすことができたのか。科学的に分析できていない。これでは「脱マスク」の判断が迷走する。
21年の東京五輪開催を巡り露呈した政治と科学との溝もうまらないまま。科学がリスクを「評価」し政治が「管理」する。本来あるべき両者の役割分担はいまも曖昧だ。
感染爆発を回避した当初の日本の対策は海外から評価が高い。その国の医療制度や公衆衛生に左右される感染症対策に正解はない。何が良くて、何がまずかったか。3年間の徹底検証が欠かせない。いつかはわからないが、次なるパンデミックは必ずやってくるのだから。
(編集委員 矢野寿彦)