横並び日本、ノーベル賞の卵を門前払い
 異能は革新生む宝

昭和99年 ニッポン反転(2)

Source: Nikkei Online, 2024年1月2日 5:00

東京大学に東北大学、九州大学。 もう10回以上も人事選考に落ちた。

私、山内悠輔(43)は電池や触媒の性能を高める技術を開発した。
大学院で論文を20本以上書き、将来のノーベル賞候補にも挙がった。どれだけ業績を上げても門前払いだった。
日本の科学界に絶望して約10年前に海外へ去った。
渡航先のオーストラリアは別天地だった。東大と競う名門大学がメール 1通で教授に採用。
研究に没頭する日々のなか、青天のへきれきで日本に凱旋帰国した。
2023年4月、名古屋大学の世界の権威を招く制度の第1号に選ばれた。
化学の研究に取り組む名古屋大学の山内悠輔卓越教授=名古屋大提供

僕は青木誠太郎(15)、中学3年生だ。特異な才能を伸ばす翔和学園(東京・中野)で学ぶ。言語理解のIQは150超だ。英語の論文を読み込み、探査機「はやぶさ」が積むイオンエンジンを2カ月で作った。でも、単純作業は苦手。授業が簡単な普通の学校になじめない。研究の話をする仲間を増やしたい。
イオンエンジン作りに熱中する中学校3年生の青木誠太郎さん

特別な才能を持つ異能や変人を締め出してきた日本が変わり始めた。

山内を阻んだのは大学の講座制だ。教授は若い異能との競争を避けて下積みを求め、結果の平等に甘んじる。講座制は米欧の知識に追いつくことを優先した昭和には効率的に機能したが、自由な発想や斬新な研究は生まれにくい。青木は戦後の教育改革以降、同年齢が同じ内容を学ぶ学校で居場所を失った。2人は今、異能を存分に発揮する場を得た。

公平・公正な競争を避け、平等主義に安住した末路が、科学力の没落を招いた。

「もはや日本は世界トップクラスではない」。23年10月、科学誌「ネイチャー」のウェブサイトの記事が注目された。引用数が上位10%の論文シェアは1999〜2001年の4位から19〜21年はイランを下回る13位に沈んだ。

高度な科学力を保つ国は異能をイノベーション(革新)を生む宝と見なす。
米国ではノーベル賞物理学者の過半が21歳以下で大学を卒業する。アインシュタインは現在なら大学院生の26歳で相対性理論を発表した。


異能や変人が集まれば、知が共振し、革新が芽生える。変わった人こそ、社会に活力を生む源泉だ。

僕、青木が学園で出会ったのが「はやぶさ」のエンジン開発に参画した北章徳さん。彼の講演を聞きエンジンを作り始めた。助言を得てエンジンが推力を生む放電現象も起こせた。もっと実機に近づけたい!

日本で今、世界の異能が集う革新の現場がある。日米欧などの核融合実験炉の計画をけん引する京都大特任教授の小西哲之が創業した京都フュージョニアリング(東京・千代田)。「地上の太陽」に例えられ、二酸化炭素を出さない究極のエネルギー源の核融合技術を開発する。大学発スタートアップで異例の120億円超を調達した。

核融合を起こすのに不可欠なセ氏約1億度まで燃料を加熱する装置の製造技術が強み。最先端品を供給できるのは世界でも日本とロシアのみ。核融合研究で先頭を走る米英の公的機関から装置を受注した。

核融合工学を40年研究し続けた小西らの下に、ノーベル賞に貢献した論文に名を連ねたドイツの俊英らが集結。物理学や経営学の専門知が交わる。最高執行責任者(COO)の世古圭は「世界の異能が研究と産業化の両輪を回す」と話す。

京都フュージョニアリングは国内外から結集した若い異能が革新を生み出す場だ=同社提供

革新を生む共振の場は偶然ではなく、自然に生み出さなければならない。

1970年代から英国ではケンブリッジ大学を中心に800社以上の企業を集積させ、大学発スタートアップを次々と生んだ。「ケンブリッジ現象」と呼ばれ、革新の揺り籠となった。

私、山内も知の受け皿をつくる。名古屋大で大型の産学連携を3件始めた。若手や企業の異能を集めて化学反応を起こす。たとえ敬遠されても、常識破りの考え方をするとがった人間になれとハッパをかける。きっと新発見の確率は高まる。津々浦々の大学を統合して資金と人材を集中すれば異能が輝く場になる。
代表理事を務める「孫正義育英財団」の活動報告会で財団生に声をかける孫正義氏(12月6日、東京都港区)

ソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義は2023年12月6日、志をもつ異能人材を支援するために設立した財団のイベントで子供たちに語りかけた。「人類の知能の偉大な模範になってほしい」。異能を開放してリーダーにする。革新は常に辺境から生まれる。=敬称略

〈あのとき〉1999年、中小企業技術革新制度

バブル経済崩壊後の1990年代、経営が悪化した日本企業は中央研究所を相次ぎ閉じ、基礎研究を縮小した。イノベーションの担い手が勢いを失うなか、新たな先導役として期待されたのが大学だった。

政府は1999年、大学の研究成果の実用化を後押しする「中小企業技術革新制度」を整えた。米国が70年代の不況の反省を受け、研究者の起業を支援するために82年に創設した「SBIR(スモール・ビジネス・イノベーション開発法)制度」に倣った。

米国はテクノロジーを目利きできる国の専門家が、主に大学の若手研究者に的を絞り、商業化までを支援した。基礎研究は実用化までに時間がかかり、民間は投資をためらう。このリスクを国が背負い、テクノロジー大国復活の道を開いた。


一方で日本は既存の中小企業向け補助金の看板をすげ替えたケースが多かった。実績のない若い研究者は支援を受けにくく、大学の科学研究を実用化する効果は乏しかった。新たなテクノロジーの潮流を先取りするような発想も欠けていた。

日本は研究者支援の制度の本質をはき違え、大学を革新の源泉に生まれ変わらせるのに失敗した。

研究力を高める投資も細り続けた。日本は2004年度から大学の人件費などに充てる運営費交付金を減らした。23年度は1兆784億円と04年度比で13%少ない。

経費削減でポストが減ると、研究者を志す若者も少なくなった。文部科学省によると20年度の日本の博士号取得者は1万5564人で、00年度から3%減った。米国は19年度までに2.4倍に、英国は21年度までに2倍に増えた。現場で研究を担う若手の減少は科学の没落を招いた。

反転に向けて国は若手の支援に乗り出した。25年度までに年180万円以上の生活費を支給する博士課程の学生を21年度比で3倍の2万人強に増やす。国公立大学を再編し、戦略分野に人材や資金を集中するような抜本的な改革も求められる。