Nikkei Online, 2025年11月11日 5:00

人工知能(AI)が米国の日常に本格的に浸透してきた。雇用を奪われるという不安の裏側で高まるのが、少ない労働力で高成長を実現する生産性向上への期待だ。新型コロナウイルス禍前に広がっていた長期停滞論は後退。持続的な成長率の押し上げを予測するエコノミストが多いが、AI暴走による経済の急減速などのリスクもある。
「今度管理会社に入ったレオさん、まだ不慣れなんだけどメールをきっちり返すから信頼できるんだよね」。米東部メリーランド州に住む記者は夏ごろ妻とこんな会話をしていたのを覚えている。マンションの家賃の自動振り込みがうまくいかず問い合わせたところ「まずは自己紹介させてください」と連絡してきたのがレオ氏だった。
やりとりは20回。手数料などに対する不満も言葉巧みになだめつつ、記者が銀行に出向いた際には小切手の発行方法も粘り強く説明した。最後は信頼も生まれた。
あるとき別の社員がレオ氏のメールアドレスで連絡してきたことを不審がると、その社員は観念して答えた。「あなたがやりとりしていたレオは、実はAIなんです」

米国でも自動対応のカスタマーサービスを嫌う顧客は多い。だがレオ氏はAIと名乗らない「覆面AI」。あえて間を置いて返信するなど気づかれない形で管理会社の省人化に貢献していた。
クリスマスシーズンになると軽快な音楽とともに流れ出す米コカ・コーラの広告。同社では年末商戦のデジタル広告を生成AIで作成している。映像にはコカ・コーラのロゴ入り配送トラックやボトルを開けるサンタクロース、動物などが次々登場するが、すべてAIで生み出された。
AIによるデジタル広告を最初に配信したのが1年前。それまでは撮影と準備を含めて約1年をかけてテレビCMを作成していた。AI広告は1カ月で安価に複数の広告を制作でき、顧客の反応を即座にマーケティングに生かせる。
「効果をリアルタイムで検証できる」(ジェームズ・クインシー最高経営責任者=CEO)ため、商品開発の速度も上がった。
米ジョージア州サバンナで韓国の現代自動車が今年3月に稼働した電気自動車(EV)の専用工場。ここでは検査や組み立てなどの全製造プロセスでAIを活用する。
従来型の工場で人間がチェックしていた部品在庫はドローンが計測し、自動搬送機が車両や部品を次の場所に移動する。車両の外観検査を担うのは米ボストン・ダイナミクスが開発したイヌ型の四足歩行ロボットだ。米国の大型投資の目玉として126億ドル(約1兆9000億円)を投資した。

26年以降はAIを組み込んだヒト型ロボットを導入し、車の組み立て作業に人間が関わる部分をさらに減らす。最新のAI半導体やカメラなどを搭載し、人間の操作なしにリアルタイムで動作などを学習していくロボットだ。
AIの普及は人間が労働時間あたりに生み出す価値を高める。こうした生産性の向上は国内総生産(GDP)を押し上げる要因になる。一般的に人々の生活水準がより豊かになることを示す。
生産性の伸びは長期的に鈍化傾向にあった。米労働省によると、1950年代に年3.4%だった伸びは2010年代には1.3%に低下した。新型コロナウイルス禍前には、イノベーションの枯渇などで低成長が常態化する「長期停滞論」が盛んに議論された。

ところが、AIの活用が進み始めた23年と24年は生産性の伸びが2%を超えた。鈍化傾向に変化の兆しが出ている。
米モルガン・スタンレーのセス・カーペンター氏は「新技術の導入は2〜3年後に生産性向上として実を結び始め、その効果は数年持続する傾向にある」と指摘する。AIでも同じことが起きている可能性があり、市場もそれを期待しているという。
生産性の向上は経済の供給力を高めるため物価には押し下げ圧力が働く。米連邦準備理事会(FRB)は利下げを続けやすくなり、株式などのリスク資産が値上がりしやすくなるとカーペンター氏は分析する。
もちろん、生産性の高まりがAIによるものかは慎重に判断する必要がある。コロナ禍で生じた大規模な労働移動や起業ブームなど、ほかにも生産性に影響を与えたと見られる要素が多いためだ。
FRBのバー理事は「AIによる短期的な影響は過大評価の可能性がある」と語る。だが同時に「より長期的な影響は過小評価されている」とも分析する。
AIの普及は長期的にどんな影響をもたらすのか。
ダラス連銀の研究者らは6月、AIが長期的に経済成長の形を極端に変えるシナリオを公表した。米国の1人あたりGDPは世界大戦や大恐慌、電化、コンピューター化などを経ても150年以上もの間、年1.9%で増えてきたが、この流れが変わり得るという。

基本シナリオでは、今後10年間で成長率がこれまでの基調よりも年0.3%ポイント押し上げられる。一方で、人間の知能を超えたAIがあらゆるモノを作り出す「超成長」を想定したシナリオでは、1人あたりGDPは24〜30年で3倍に急膨張する。電力などの制約もあるが、AIが作業の効率化だけでなく、技術革新のスピードまで変化させれば経済成長へのインパクトは急速に大きくなる。
描かれたのは楽観的な姿だけではない。超知能を備えたAIが悪意を持ち、最終的に人類が滅亡に至るシナリオもあり得るとした。このケースでは、リーマン危機の2〜3倍の勢いで経済規模が縮小し続ける。実現の可能性は低いとしつつも「科学者たちはこの問題を深刻に受け止めている」と警告した。
長期停滞から抜け出した先は「超成長」か「破滅」か――。待ち受ける未来を見極められないままAIの開発競争は加速し、私たちの暮らしや経済も後戻りのできない地点に差し掛かろうとしている。
(ワシントン=高見浩輔、ニューヨーク=川上梓)