2019年のノーベル賞で自然科学3分野の受賞者の顔ぶれが決まった。化学賞でリチウムイオン電池の実用化に大きく貢献した吉野彰・旭化成名誉フェローが、2人の米大学研究者と一緒に選ばれた。スマートフォンをはじめとする情報端末機や電気自動車などの電源として広く使われ、モバイル社会を発展させた成果が評価された。日本のノーベル賞受賞は18年の本庶佑京都大学特別教授に続き27人目となる。また生理学・医学賞は低酸素状態になった細胞の応答の仕組みを解明した米英の3人の研究者に、物理学賞は宇宙の進化の理論的な発見と太陽系以外で惑星を発見した米国とスイスの3人の研究者に贈られる。
化学賞はリチウムイオン電池の開発で、吉野氏のほか米テキサス大学のジョン・グッドイナフ教授とニューヨーク州立大学のマイケル・スタンリー・ウィッティンガム卓越教授の受賞が決まった。
リチウムイオン電池の研究は1970年代から本格化した。当時実用化されていた繰り返し充放電できる主な2次電池は、鉛蓄電池とニッケル・カドミウム蓄電池(ニッカド電池)だ。鉛蓄電池は重く持ち運びには適さない。ニッカド電池は高い電圧が出ず充放電を繰り返すと性能が低下する課題があった。
電池にとって重要な部品は正極と負極の電極材料、間にはさむセパレーター(絶縁体)、これらの部材を浸す電解質だ。とりわけ電極の組み合わせは重要で、電池の基本的な性能を決める。
米石油会社の研究者だったウィッティンガム氏は、リチウムの硫化物が電圧の高い2次電池の電極に適していることを見つけた。層状の結晶が積み重なった「層間化合物」といい、以後電極材料を探索するキーワードになった。この材料を正極に金属リチウムを負極にしたリチウムイオン電池の原型を初めて示した。ただこの電池も重い。負極のリチウムが成長してすぐに発火してしまう問題なども生じ、実用化できなかった。
より優れた電極材料探しが世界で始まり、その頃英オックスフォード大学に勤めていたグッドイナフ氏がコバルト酸リチウムという新材料を開発した。80年に発表したが、金属リチウムに代わる電極がなく、実用的な電池にはほど遠かった。
吉野氏の業績はこの正極に合う負極材料を探し、現在のリチウムイオン電池につながるパーツを組み合わせることに成功した。当初は白川英樹・筑波大学名誉教授が開発した導電性高分子を負極にした2次電池開発を目指していた。適した正極材料がなく開発が難航していた82年末、大掃除のときに見つけたグッドイナフ氏の論文を偶然見つけ、難局を乗り越えた。
導電性高分子はその後、より性能を高められる炭素材料に変えた。ショートを防ぐセパレーターなどを含めた基本構造を確立して85年に特許を出願した。旭化成は宮崎県に化薬工場をもつ。発火の恐れのあるリチウムイオン電池の試作品をここに持ち込み、実験を繰り返した。有機電解液を使い、くぎを刺しても発火しない安全性を確かめ、92年に事業化を開始した。
同社は個人向けの最終製品があまりなく、自ら直接、電池の製造販売には踏み込まなかった。リチウムイオン電池を最初に商品化したのは、旭化成とは全く独立に開発を続けていたソニーだ。91年に発売した。グッドイナフ氏はコバルト酸リチウムを主な電池メーカーに売り込んでいたが「ソニーは積極的だった」と振り返っている。
受賞決定後の会見で吉野氏は「リチウムイオン電池の本当の姿は誰もわかっていない。原点に戻れば全然違う発想の技術が出てくるかもしれない」と語った。完成した技術のように見えるが、まだ解明できていない仕組みや法則などがたくさんあるという。より性能の優れた全固体電池など次世代型電池の開発が盛り上がっている。その成果の中から次のノーベル賞受賞者が出現するかもしれない。
(科学技術部 福井健人)
物理学賞は「宇宙の進化と宇宙における地球の位置の理解への貢献」で、欧米の研究者3人が受賞した。
スイス・ジュネーブ大学のミシェル・マイヨール名誉教授と教え子でもあるジュネーブ大のディディエ・ケロー教授は、太陽以外の恒星を回る太陽系外惑星を1995年に初めて発見した。見つけたのは地球から約50光年離れた「ペガスス座51番星」の周りを回る惑星だ。
初めて見つかった太陽系外惑星は、それまでの常識を
覆すものだった(NASA/JPL-Caltech提供)
太陽系と同じように惑星をもつ恒星は少なくないと考えられていた。しかし世界の天文学者が長年観測しても見つからず、当時の技術で見つけるのは難しいのではないかと思われ始めていた矢先の成果だった。この発見を突破口に、現在までに4000個を超える太陽系外惑星が見つかっている。
発見とともに大きな驚きだったのが、それまでの天文学の常識を超えた惑星の姿だった。公転周期が4日と恒星にごく近い軌道を、木星の半分ほどの大きさのガスでできた巨大惑星が回っていた。
太陽系では太陽に最も近い水星でも公転周期は88日。しかも太陽に近い場所は地球のように岩石でできた惑星で、木星のようにガスでできた惑星はもっと外側の軌道を公転している。太陽系と大きく異なる姿をした惑星の発見は、それまでの太陽系や惑星の生まれる過程についての考え方を見直すきっかけになった。
もう一人の受賞者、米プリンストン大学のジェームズ・ピーブルズ名誉教授は理論面で宇宙の歴史を解明するために大きな貢献をした。
宇宙が「ビッグバン」と呼ばれる大爆発で始まり、銀河などが生まれる過程を研究した。宇宙の95%を「ダークマター」や「ダークエネルギー」と呼ばれる未知の物質やエネルギーが占めるという現代の宇宙論の基礎を築いた先駆者のひとりだ。
代表的な成果は、宇宙の全方向からほぼ均等に届く「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」と呼ばれる電磁波が宇宙の誕生直後に起きたビッグバンの名残である根拠を理論的に示したことだ。
CMBは米AT&Tのベル研究所(当時)にいたアーノ・ペンジアス氏とロバート・ウィルソン氏が64年、アンテナの雑音をなくす研究中、偶然に発見した。当時はCMBが本当にビッグバンの名残かどうかは議論が分かれていた。ピーブルズ氏はこの論争の決着に大きな役割を果たし、ペンジアス氏とウィルソン氏は78年にノーベル物理学賞を受賞した。
(編集委員 小玉祥司)
生理学・医学賞は動物が備えている「低酸素応答」の仕組みを解明した米ジョンズ・ホプキンズ大学のグレッグ・セメンザ教授、英オックスフォード大学のピーター・ラトクリフ教授、米ハーバード大のウィリアム・ケリン教授の3人に決まった。
空気の薄い高地でトレーニングすると、体が適応して血中の赤血球が増える。細胞に酸素濃度を感知して周囲の環境に適応する「低酸素応答」と呼ぶ仕組みが備わるからだ。セメンザ教授は低酸素に陥った際に遺伝子の働きを活性化させるたんぱく質「HIF―α」を発見。ラトクリフ教授とケリン教授はHIF―αの分解にかかわっている別のたんぱく質を見つけ、応答の過程が明らかになってきた。
酸素が十分にあると、HIF―αは細胞内で分解される。酸素が少ない場合は分解されずに核内に移動し、酸素を取り込むように特定の遺伝子の働きを活発にする。ホルモンを増やして赤血球をたくさん作るようにしたり血管を新たに張り巡らせたりする反応を引き起こす。
ケリン教授の元で研究歴がある京都大学の中村英二郎特定准教授は「一連の研究が病気の治療に活用できる段階に入ってきた」と話す。例えばアステラス製薬は、HIF―αの分解を抑える薬を開発し、腎臓の働きが衰えた人に起きる貧血の治療薬として2019年9月、国内の製造販売承認を取得した。
がん細胞がこの仕組みを巧みに使って血管を周囲から呼び込み、酸素のない環境で生き延びていることもわかってきた。血管を増やさないようにして腎臓がんを治療する新薬の臨床試験が米国で進んでいる。
セメンザ教授と共著の論文がある国立国際医療研究センターの田久保圭誉プロジェクト長は「低酸素の方が生きやすい細胞もある。HIF―αの分解を抑えればいいかどうかは細胞や病状によって見分ける必要があるだろう」と解説する。