「敵が千万でも闘う」 習氏が石破氏に吐いた本音と苦悩

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中国国家主席、習近平(シー・ジンピン)が、日本の首相の石破茂を前に、内政・外交を巡る現状への危機認識と、そのハードルを乗り越えようとする強い意気込みを示していたことが明らかになった。2024年の年末にかけて中国内の政治関係者らが極めて婉曲(えんきょく)に発信している。

千万人と雖(いえ)ども吾(われ)往(い)かん」。中国語を漢文の書き下し文で正確に記すなら、これが2024年11月15日、ペルーで開いたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を利用した日中首脳会談で習が口にした言葉である。

2024年11月、ペルーのリマで石破首相(左端)と中国の習近平国家主席(右端)が会談した=共同

自ら省みて正しいと思うなら、敵対する者、反対する者がどんなに多かろうとも、恐れることなく自分の信じる道を進む。そういう意味だ。出典は中国の古代、戦国時代の思想家、孟子の言を記した書である。

石破首相の政治の師、田中角栄に自ら言及

日中首脳会談の雰囲気がにじむエピソードについて、中国主要メディアは公式報道していない。一方、日本側では会談後、関係者らが明かす「裏話」としてすぐに漏れ伝わり、一部では驚きの声も上がった。

驚きの理由は、習自ら先手を打って石破の政治の師である元首相、田中角栄に触れ、合わせて田中もかつて使ったという孟子の言葉を引用したからだ。田中は、中国側で対日関係の「井戸を掘った人物」と長く称賛されている。1972年、田中は自民党内の多くの反対を押し切って訪中し、日中国交正常化に道を切り開いた。

首脳会談を前に握手する石破首相㊧と中国の習近平国家主席(2024年11月、ペルー・リマ)=共同

確かに「真の権力者が対日関係の打開に向けて示した明確な信号」という外交上の解釈は的を射ている。翌月には、外相の岩屋毅がすかさず中国を訪問した。北京ではまず中国首相の李強(リー・チャン)と会う。これは最近では珍しく事前に確定していた。

岩屋は外交トップの王毅(ワン・イー)と会談し、25年の「日中ハイレベル経済対話」復活に道筋を付けたのも評価できる。石破は24年末、自身の訪中にも意欲を示している。

見落とされた経緯、内政からの解釈

ただ、そうした対日外交の文脈での解釈は一面に過ぎない。実は見落とされている極めて重要な点がある。中国の内政面からみた読み解きだ。実は、中国共産党内の「政治学習」やメディアでは習・石破会談よりはるか前から「千万人といえどもわれいかん」という習自らの言葉が繰り返し引用されてきた。

なぜなら元々、習が愛してやまない孟子の言葉であるからだ。ちなみに習は「知行合一」など陽明学からの引用も好む。明代に王陽明が興した儒教の一派で、こちらも孟子の性善説の流れをくむ思想である。

そもそも既に権力集中に大成功したとされる絶対権力者が、いまだに「千万人といえどもわれいかん」と自ら訴えるのは、理にかなっていない。普通に考えれば、周辺に明確な敵など存在しないはずである。

だが、この言葉は既に13年目に入った習政治の本質、そして今後の方針をも指し示している。つまり習は対日関係の現状に仮託して自らの心象風景まで述べた。そういう見方も可能だ。

2023年11月、米サンフランシスコでのAPEC首脳会議に出席した中国の習近平国家主席=ロイター

この解釈には根拠がある。ペルーでの日中首脳会談のちょうど1年前の23年11月、米サンフランシスコで開いたAPEC首脳会議で習は、こう発言していた。「中国の古人は言った。『道が正しければ、千万人といえどもわれいかん』と」

更に遡ると、22年10月の第20回共産党大会で自ら出席した分科会討論の場でも習は同じ言い回しを使った。「千万人といえどもわれいかん。何を恐れることがあるのか」。明確な抱負だった。

この第20回党大会では、最終日の閉幕式で自ら責任者に指示して前国家主席の胡錦濤(フー・ジンタオ)を会場から退場させた。最高指導部は、胡錦濤派を完全に排除して自派一色に染め上げたのである。

中国共産党の胡錦濤前総書記(後ろ中央)は 2022年10月の党大会閉幕式を途中退席させられた
(北京の人民大会堂)=比奈田悠佑撮影

習が口にした言葉は、中国内のSNS上でも引用される。それは中国に特徴的な強い権限を持つトップへの忖度(そんたく)でもある。この時点では、もちろん「井戸を掘った田中」とは何の関係もない。ペルーでの石破への習発言は、過去の発信の変形にすぎないのだ。

では、習が石破会談に仮託した心象風景とは、具体的にどういうものなのか。16年に中国共産党内で別格の地位を意味する「核心」となった習。17、22年の党大会を経て異例の3期目入りして久しい習政権は、24年から25年年頭の今、厳しい状況下にある。

習政権への無言の圧力が強まる原因は、長く続く中国経済の不調と、若者の失業率高止まりが象徴する社会的な不安の増大だ。24年後半には、以前なら考えられない凶悪で悲惨な事件が次々起き、多くの人命が失われた。

それでも習自身が繰り返す言葉は全く変わっていない。自分としては信念を曲げる気はさらさらないというサインだ。経済を巡る基本政策、政治的なパフォーマンスともにである。

敷衍(ふえん)すれば、2年後に迫ってきた27年次期共産党大会でも「トップとして続投し4期目入りする」という意欲にもみえる。だが、闘わなければ勝ち取れないことも自覚している。そこには苦悩もあるのだ。

民主生活会で気になる変化

一方、24年12月26、27両日開いた共産党政治局メンバーらによる恒例の「民主生活会」では気になる変化があった。この名を冠した会議は、歴史を変える恐ろしげな「自己批判」の場になったこともある。

中国の主要メディアは、議論された要点5つの2番目として「一般庶民に福をもたらすこと」を挙げた。昨年はなかった主要論点である。重要度は高く、深刻な経済不振と庶民生活への影響が話題になったのは明らかだ。

一方で、1年前の同じ「民主生活会」では主要論点のトップに挙げていた「『習近平新時代の中国的な特色ある社会主義思想』の学習貫徹と一層の自覚」が消えてしまった。いわゆる「習近平思想」の学習・自覚より、一般庶民の生活安定を優先すべき緊急事態だ、という認識は当然だ。だが、政治的な視点から観察すると異変と言える。

では、孟子の言を借りて習が繰り返し指摘する敵対者、反対者はいったい誰なのか。それはいまだ特定しにくい。とはいえ、共産党の絶対指導下にあるはずの人民解放軍の中では、明らかに習体制の根幹に関わる本質的な議論がなされている。

軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会の機関紙、解放軍報も、習政権で強調されてきた「みだりに(共産党)中央について議論してはいけない」という指示を無視するかのような主張を続けているのだ。

集団指導制、民主集中制、党内民主、各層共産党委員会を仕切る党書記の真の役割に関する自由闊達な議論である。もっとも、これらは中国共産党員が守るべき規律が列挙されている党規約に全て明記された原則内の議論だ。それ自体は全く問題ないはずである。

そして軍内では「重大な規律違反」の容疑による大物軍人粛清の嵐が終わらない。対象には、かつて習自ら抜てきした「習派」に属する側近といわれる人物まで含まれている。

2015年9月3日の北京での軍事パレード。閲兵に向かう習近平国家主席=柏原敬樹撮影

過去にも、苛烈な「反腐敗」運動の矛先が軍の汚職と大物軍人に向いていた時期があった。習が党の「核心」に昇格する前だった14〜15年である。摘発対象はもちろん習と距離がある人物だけだった。当時、習は身の回りの安全を異常に気にし、神経質になってもいた。「誰も信じられない」。そういう心境だったのだ。

今、なぜ軍の一部が政治的にこうも先鋭的になっているのか。解釈は難しい。万一、敵が千万人でも闘うべきだとした習の相手に、共産党の守護者である軍も明確に含まれるなら不穏だ。この複雑に絡み合った謎は、次期共産党大会が2年後に迫る今年25年中にも解かれることになる。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。