戦略なき日本、水道が象徴 日本政策投資銀行・地下社長

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Nikkei Online, 2025年2月15日 5:00

    【この記事のポイント】
    ・埼玉県八潮市で起きた陥没事故は、日本のインフラが抱える問題を凝縮
    ・現場力による修繕だけでしのぐのは限界
    ・まずは課題を社会で共有すべきだ

埼玉県八潮市で下水道管の破損をきっかけに起きた道路の陥没事故は、老朽インフラを放置する恐ろしさをまざまざと見せつけた。なすべき行いを直視せず、漫然と先送りを繰り返すあしき習性が「水道」に凝縮されている。インフラとしての水道に20年以上前から携わってきた日本政策投資銀行(DBJ)の地下誠二社長が警鐘を鳴らす。

日本の水需要のピークは1998年に過ぎた。洗濯機の性能向上などによる節水効果に人口減少が追い打ちをかけ、2050年にはピークの3分の2しか使われなくなる見通しだ。いかに設備を維持・管理していくかは難しい課題になる。

――設備は時々刻々と古びていくのに、投資の原資は先細る。日本の水道はもつのか。

「20年前、仕事で自治体に入り込み、水道事業に深く関わるようになった。自治体の数だけ水道事業が乱立していて、やっていけるのか?という問題意識があった。20年前の時点で『10年くらいしかもたないのではないか』と思ったが、実際には20年もった」

――誤算の理由は。

「現場力が強いからだ。水道は今もジャパン・アズ・ナンバーワン。水道管から出てくる水は世界最高の品質が保たれている。だが、将来も最高水準でいられるかどうかはわからない」

「皮肉な言い方になるが、現場力が強いため、『戦術』の工夫で意外に長持ちしてしまう。『戦略』そのものは古くていいかげんであるにもかかわらず。根本的な『戦略』を見直したり、基本構造を変えたりといったことが後手に回ってきた。日本の産業を象徴しているように感じる」

八潮市の事故、当然の帰結

――そんな状況が長く続くとは思えない。

「水道は今、尋常でない課題に直面している。水道法が1957年にでき、70年には水道の普及率が80%に達した。そのころにほぼ完成していたということはつまり、50年前に集中投資された設備が古びてきている。かつては人口が増え、水道事業の収入も伸びていたが、少なくとも量は減っていく。長期的に需要が減る中で更新投資の負担が膨らむわけだ」

「担い手のサステナビリティー(持続可能性)も重い話だ。20年前から一番心配してきたのは『人』の問題だった。水道事業の技能を持つ職員がいなくなり、技能の伝承が難しくなるのを目の当たりにしてきた」

「水道事業の技能を持つ職員がいなくなることを心配してきた」と話す

――状況の深刻さの割に事業を担う自治体の動きが鈍くないか。

「従来と違うやり方で解決する必要がある。20年前は自治体の数と同じだけ上水道の事業者があり、全国におよそ1700もあった。経営体力を増すための統廃合で、事業者は1300まで減ってきたとはいえ、まだ多すぎる。事業者が多いまま、しかも公のままやっていると、中堅以下の自治体は対応できなくなる。すぐわかることだ」

――何が統廃合を阻んでいるのか。

「住民は当然の気分で文字通り湯水のごとく水を使っている。水に関して恵まれた地域と恵まれない地域が統合すると、安い水を飲めていた恵まれた地域の住民は割高な料金を背負わされることになる。料金設定は地方議会の承認を得ないと変えられないことが多い。住民の無関心を映し、議員たちも水道が直面する問題を認識していない。理解ある首長が正義感を発揮するのも難しい」

「結果、水道料金はずっと横ばい。4割の自治体が原価割れの状態に陥っている。水道料金は2割くらい上げないと持続可能にならない」

――八潮市の陥没事故をどう見ているか。

「当然の帰結だ。上水道ほど下水道に詳しくないが、こういう問題がもっと早く起きると思っていた。現場力を生かし修繕を丁寧にやると、耐用年数を超えて水道管を長持ちさせられるが、根本的な問題は残される」

水道をめぐる悩みは日本に限らない。民営化の過程で知恵を絞った先例が英国だ。水道料金の認可を請け負う専門家組織の創設などが、民営化を進めていく土台になった。

――英テムズ・ウオーターは2010年代、中国資本を受け入れる大胆さで注目された。日本に足りない部分が英国流にあるのではないか。

「たしかに英国のやり方は大胆だが、見るべきところは別にある。中国資本を入れても大丈夫な仕組みを整えたことだ。まず、水道事業を民営化する前に、流域ごとに大きく10地域に再編した。公の事業だとしても適切に広域化を進めたわけだ。その上で、水道料金の公正さを評価する機関を設け、水質をチェックする役割を明確にし、住民の声を代弁する組織をつくった。それから10の事業を順次、民営化していった」

「もうけすぎ批判が起きたり、経営問題があったり、民営化に伴う副作用はある。それでも、民間の目を入れたということは、請け負った企業自身がやっていかないといけない。将来に向けた投資と売り上げのバランスを必死に計っていかざるを得なくなる。必要なら値上げをする。そういう点で効果はある」

――つまり、広域化や評価機関の設置のような取り組みが必要で、単に民営化を進めるだけではダメだということか。

「国の大小や洋の東西を問わず、水は生活の基本だ。個人的にも興味があって海外の事例をたくさん勉強し、うまくいったケースばかりではないことを知った。それぞれに国情も違い、住民の思いも独特で熱い。たとえば(水ビジネス世界首位の)仏ヴェオリア・エンバイロメントが国外で事業を受託し、あつれきを起こした事例も聞いた。ヴェオリア側に問題があったかもしれないし、住民への事前の説明が不十分だったかもしれない。いずれにせよ、準備が不足していた」

将来の課題、社会共有を

――英国などと比べると、日本はずいぶん手前の段階にいる。

「日本の場合は、そもそも将来の課題が社会で共有されていない。まずは課題を共有しないと『なぜ公がやればいいのに民間を入れるのだ』とか『民間をもうけさせるために料金を上げるのか』みたいな本末転倒の議論が起きかねない」

「統計によると、年間2万件以上の漏水事故が起きている。数年前には和歌山県で橋を渡る水道管が破裂する事故も起きた。八潮市の下水管と同じく、上水道でも地中の目に見えないところで管が破損している可能性もある。2万件という数字が多いか少ないかは意見が分かれるとしても、課題が噴出しつつあるのは間違いない」

「公の事業には金融機関のような第三者の目が届きにくい面もある。わざわざコトを荒立ててまでとことん議論しようという機運も乏しい」

「高度成長期の発想から抜け出せていない」と指摘する

――「水道」を通じて浮かび上がる、日本に足りないものは何か。

「切迫感を抱く人が少ないことだろう。高度成長時代はとにかく投資しておけば問題なかった。その発想から今なお抜け出せず、成長を前提にした考え方があらゆる制度に残っているのではないか」

――24年4月に上水道の所管が厚生労働省から国土交通省に移った。効果は期待できるか。

「いくつかの意味でプラスだ。上水道と下水道を別の省庁が管理していたのが、ひとつになる。厚労省はいろいろやらなければいけない官庁で、水道への問題意識は相対的に低かった。対して、国交省は水道を含む街づくりは本来業務だ」

「河川管理との連携にも期待をしたい。河川の水を取ってきて浄水して配り、下水で流し、防災にも役立てる。国交省が司令塔機能を果たしていける。『令和の列島改造論』のテーマの一つにいかがだろうか」

じげ・せいじ 1986年(昭61年)東大法卒、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。2011年執行役員、20年副社長、22年から現職。銀行の仕事を離れたライフワークとして自治体の人たちと水道問題を議論してきた。趣味は登山。

「公神話」にすがっていないか

DBJがインターネットで一般市民の約4000人を対象に実施したアンケート調査は、私たちの「水道」に対する意識を映し出す。
法定耐用年数を超えた水道管が2割存在していることは7〜8割が知らない。一方、水道事業が破綻する可能性を漠然と心配する人が1割強いる。そして、水道は税金でなく水道料金で賄っていると認識していない人が6割を超す。
浮かび上がるのは、放っておいてもなんとかなるだろうという甘えだ。私たちがそんな意識しか持てないのなら、住民の代表たる議会の関心が高まらないのは当然かもしれない。そんな地下氏の指摘に残念ながらうなずかされた。
官僚や役所が担う公の仕事を信頼するのは悪いことでない。半面、過度な依存が禁物なのは言うまでもない。私たちが今なおすがる「公神話」に危険はないだろうか。水道は日本社会のあり方を問い直す入り口にすぎない。(上杉素直)  

写真 宮口穣


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