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核兵器の脅威訴え続けた70年 被爆実相に光当てる平和賞

Source: Nikkei Online, 2024年10月11日 22:47更新2


惨禍の「忘却」を防ぐため、70年近くに及び原爆被害の甚大さを訴えてきた被爆者らの取り組みに栄誉が贈られた。ノーベル賞委員会が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)への平和賞授与を決めた背景には、核軍縮への流れが停滞する現状への危機感がある。被爆の実相に光を当て、核リスクに改めて警鐘を鳴らした。

「日本被団協と被爆者の代表らによる並外れた努力は、核のタブーの確立に大きく貢献してきた」。ノーベル賞委員会は授賞理由で、核兵器使用は道徳的に許されないとする国際的な規範を「タブー」という言葉で表現した。あらわにしたのは現状への警戒感だ。

核兵器保有国が兵器の近代化と改良を進め、新たに手に入れようとする国々もあると強調。「人類の歴史で今こそ、核兵器とは何かを思い起こす価値がある」と訴えた。フリードネス委員長は「被爆者の証言を聞くべきだ」とも語った。

米シンクタンク・軍備管理協会のダリル・キンボール会長は「ノーベル賞委員会は核保有国が核兵器廃絶に向けた具体的な行動を起こすよう、この問題の認知度を高めるという素晴らしい選択をした」と評価する。

委員会が核兵器使用を繰り返し「タブー」と明言した点について「核兵器を保有し、使用の可能性を持ち続けている全ての核保有国に対するメッセージだ」と指摘。「核兵器の数や役割を増やさないように知性と大胆なリーダーシップが必要だ」と語る。

広島大平和センターの川野徳幸センター長も「緊迫した国際情勢に歯止めをかけたいという強い思いの表れだろう」と分析する。「背景にはロシアによるウクライナ侵略やパレスチナ自治区ガザでの戦闘で高まった核の脅威への緊張感がある」とみる。

ノーベル賞委員会は近年、核廃絶や核軍縮の動きを重視している。核兵器禁止条約の採択に向け各国に働きかけた非政府組織(NGO)の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年に平和賞を受賞した際には、被爆者の国際的な認知度も高まった。

川野氏は「ICANに続いて日本被団協へも平和賞を授与することで、目指すべき平和な国際社会の姿を再度打ち出したと言える」と委員会の狙いを推測する。

「ヒバクシャ」の存在を国際社会に訴えかける取り組みの始点は1950年代に相次いだ団体の結成だった。54年の米国による水爆実験で第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)した事件を受け、原爆被害の認知が広がったことが活動を後押しした。

国内で救済の動きが進むなか、核大国米ソの対立が深まった東西冷戦下に海外からの関心も高まる。82年の国連の軍縮特別総会に被爆者代表として初めて参加した故山口仙二さんが「ノーモア・ヒバクシャ」と訴える歴史的な演説をした。

日本被団協代表委員で、運動をけん引した田中熙巳さんは当時の状況を「被爆者の代表が国連で発言することは悲願だった」と語る。米ソ対立によって核戦争への懸念が深まったことで「非戦の訴えが重く受け止められた」と振り返る。

活動は国際社会の情勢にも左右され、関心が薄れた時期もある。2010年には被爆者の故谷口稜曄さんが国連の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で「過去の苦しみなど忘れ去られつつあるように見えます。その忘却を恐れます」と危機感を訴えた。

ノーベル賞委員会がたたえたのは、被爆者が「草の根運動」によって核兵器のない世界の実現を目指してきたこの間の歩みだ。「肉体的な苦しみやつらい記憶を、平和への希望や取り組みを育むことにささげた全ての被爆者に敬意を表したい」と訴えた。

一方、原爆投下から80年近くが経過し、被爆者の高齢化によって惨禍を後世に継承する活動は困難に直面している。

委員会も「いつか歴史の目撃者としての被爆者は私たちの目の前からいなくなる」と言及した。広島や長崎では若い世代が惨禍を語り継ぐ動きがあるが、被爆者が減少するなかで記憶の風化を懸念する声は強い。

長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦教授(核軍縮政策)は「被爆者の高齢化が進む中で改めて被爆者の言葉に耳を傾け、核の不使用の規範を守ろうという期待が込められた授賞」と語る。「『長崎を最後の被爆地に』と、日本からの発信を強化していくべきだ」と話した。