パリ日経能楽鑑賞会 本格舞台、4800人が至芸を堪能

<<Return to Main
    Nikkei Online: 2023年10月17日 2:00
能「隅田川」を舞う金剛永謹氏=ヴィンチ佐藤撮影

4年ぶり2回目の「日経能楽鑑賞会パリ公演」が9月22〜26日、パリ市の音楽ホール「シテ・ド・ラ・ミュージック」で開かれた。海外では異例となる本格的な能舞台を設け、ともに人間国宝で狂言方和泉流の野村萬氏、シテ方金剛流宗家の金剛永謹氏らが至芸を披露。のべ約4800人が日本文化の神髄に触れた。

狂言「舟渡聟」に出演する野村萬氏(左)=ヴィンチ佐藤撮影

初日は狂言「舟渡聟(ふなわたしむこ)」、能「隅田川」を上演。「舟渡聟」は、黒く長いヒゲをたくわえた野村萬氏が酒好きの船頭を演じた。乗客を脅して酒をせしめる場面や酒の香りを嗅ぐしぐさに、クスクスと笑いが起きた。続く「隅田川」は金剛永謹氏が我が子を失った母の悲痛な心情をたっぷりと表現。子の名前を聞いて笠を落とし泣き沈むシーンに哀感が漂い、終演後は拍手がしばらく鳴りやまなかった。

能「船弁慶」を舞う片山九郎右衛門=ヴィンチ佐藤撮影

能「重衡」を舞う浅井文義氏=ヴィンチ佐藤撮影

2日目以降も緊張感のある舞台が続いた。23日の能「船弁慶 重キ前後之替」は、シテ方観世流の片山九郎右衛門氏が舞った。前半は恋人との別れを惜しむ静御前の美しい舞、後半はなぎなたを手に源義経を襲うすごみのある平知盛の亡霊を演じ分け、観客をひきつけた。24日の能「重衡(しげひら)」はシテ方観世流の浅井文義氏が、黒い棒に赤い灯がともったたいまつをふる演出で、平重衡の苦悩を表現した。

今公演は、最高峰の演者に加えて、本格的な能舞台をしつらえた点も特徴だ。部材を日本から運び、屋根や橋がかり、柱、鏡の間まで備えた舞台を職人が設営した。

開幕前から現地での注目は高く、仏紙「ル・モンド」「リベラシオン」など複数のメディアで能楽師のインタビューなどが掲載され、チケットはほぼ完売となった。

観劇したジャンバチスト・マンティさん(28)は狂言について「脈々と続く伝統に感動した」と興奮気味に語った。イブ・チエリーさん(76)は「能の言葉は話しているようでも、歌っているようでもある。フランスの音楽とは違う音階、シンプルな能舞台の美しさに異国情緒を感じた」と笑みを浮かべた。

親子鑑賞会、700人沸く「日本にますます興味」

和紙の糸をまくダイナミックな能「土蜘蛛」が上演された=ヴィンチ佐藤撮影

パリ公演では親子向けの鑑賞会も開かれ、能「土蜘蛛(つちぐも) 千筋之伝」を上演した。主演したシテ方金剛流の金剛龍謹氏は「『おおっ』と盛り上がってくれ、エネルギーをもらいながら舞った」と手応えを語った。
15歳以下の子と親が対象で、約700人の親子で満席に。「土蜘蛛」は和紙の糸をまき散らすダイナミックなシーンが見どころだが、この演出は金剛流が生み出した。「ケレンを大事に豪快な演技を意識した」(龍謹氏)。身を乗り出して鑑賞したり、地面に落ちた糸を持ち帰ったりする子どもの姿が目立った。
鑑賞したエレオノール・ユエットさん(11)は「笛のピーッという高音にびっくりした」。母親のクリスティーナさん(46)は「子どもとますます日本に興味がわいた」と満足げに語った。

主演役者の声「リスペクト実感」「土壌耕し種まいた」

金剛永謹氏 パリでの公演経験は何度かあるが、能舞台をしつらえて上演したのは初めてで、非常に舞いやすかった。金剛流と観世流、2つの流派の能楽師が出演をした点でも意義深い。日本の文化の豊かさや広がりを見せることができたと思う。

片山九郎右衛門氏 パリの公演は初めて。集中力が非常に高く、日本文化へのリスペクトを感じた。「船弁慶」の中入りで橋がかりを歩いているとき、音がなく静まった舞台の上で背中に観客の視線が集まっているのが分かった。パリの観客にまた会いたい。

浅井文義氏 第1回パリ公演で団長として演者をまとめた故・浅見真州さんは、能舞台も含めて本格的な芸を海外で披露したいと考えていた。その意志を引き継ぎ今回も、分かりやすい演目や演出ではなく、能の神髄を伝えることに注力した。選んだ「重衡」は、浅見さんが復曲したゆかりの作品。華やかではないが、フランスの観客は拍手で応えてくれた。安堵している。

野村萬氏 第1回公演に続いて出演し、芸術に国境はないと実感した。自分にとって海外公演は今回が最後になると思うが、やりきった。舞台の呼吸と観客の呼吸、そして字幕が三位一体となる経験をした。すてきな観客と出会えてうれしい。20代で初めて海外公演をしたのがパリで、90歳を過ぎて戻ってきた。パリの土壌を耕し、種をまいたと思う。

ボルドー国立歌劇場総裁 E・オンドレ氏の話

第1回パリ公演の時はホールのディレクターとして関わったが、前回に続き今回も衝撃を受けた。音楽学者として様々な音楽を研究するが、能楽はオペラの一種といえると思う。単にセリフを語るのではなく、音楽として表現されるからだ。
西洋のオペラは豪華絢爛(けんらん)。華やかな衣装や装置、大編成のオーケストラが舞台を彩り、情熱的な物語が一大スペクタクルとなって展開する。一方、能楽は楽器が少なく、照明は明るく、時間の流れが遅く、全てが抽象的で、精神世界に分け入っていく。言葉に波動があり、時間が膨張する感覚がある。
パリの観客は好奇心にあふれている。俳句や和食なども含め日本文化は繊細さが魅力。能舞台までしつらえた今公演は、まるで日本の一部がワープしてきたようだった。

仏国立東洋言語文化学院講師 V・ブランド-氏の話

全公演の字幕を担当した。逐語訳したのは、フランス人がテキストを芸術作品として尊重するからだ。例えばシェークスピアを省略して観劇するのはありえない。謡の言葉ひとつひとつに重みがあり、観客も本来の能をみる権利があると思う。動作が観客の印象に残るように、字幕を出すタイミングにも気を配った。
フランスと能の関わりはとても深く、1950年代に初めて上演されてから、世阿弥をはじめとした能の台本や理論書が数多く翻訳され、ジャン=ルイ・バローら有名な役者も能の重要性を理解していた。フランスでは歌舞伎よりも能の方が知られているのではないか。
今回は本格的な能舞台が設置された。フランスの観客が、能は音楽、動作、歌と空間から成るものだと理解する機会となったはずだ。


主催 日本経済新聞社、フィルハーモニー・ド・パリ
協賛 アサヒグループホールディングス、新菱冷熱工業、セイコーグループ、ダイキン工業、三菱UFJフィナンシャル・グループ
助成 国際交流基金
協力 KAJIMOTO

<<Return to PageTop