Nikkei Online, 2024年1月3日 21:41更新
羽田空港で日本航空と海上保安庁の航空機が衝突した事故は、速やかな避難誘導が乗客367人の安全確保につながった。90秒以内に全員が脱出する訓練が奏功したとみられる。避難完了までの18分間の状況が同社や乗客の話で明らかになってきた。
海保機と衝突した日航516便が北海道の新千歳空港を出発したのは2日午後4時15分。帰省や旅行から戻る客らでほぼ満席で、定刻から25分遅れて羽田へ飛び立った。
1時間半後に状況は急変する。午後5時47分の着陸時に滑走路上で海保機と衝突した。帰省先から搭乗した都内に住む女子大学生は「いつもより大きな衝撃を感じ、体が前に押し出されそうになった」と振り返る。窓からはエンジン付近から炎が出ているように見えたという。
「何が起きたんだろう」。知人女性と言葉を交わしていた男性会社員(28)は機内に白い煙が立ちこめてきたのを見て、会話を止めて手で口を覆った。客室乗務員が出口の状況などを同僚とやり取りするのを耳にし「ただごとじゃない」と感じ始めた。
「大丈夫です」「落ち着いて」。乗員が繰り返す間にも機内は緊迫する。窓の外が炎で赤くなり、子どもが泣き叫ぶ声が聞こえた。案内があるまで席で身をかがめるように指示があり「(乗員の)言うことを聞いた方がいい」と呼びかける乗客もいた。
出口が開くまでの時間は5〜15分ほどとみられる。アナウンスシステムが作動せず、一部の乗員はメガホンも使い誘導した。8カ所ある出口のうち5カ所は火災で使えないと判断。最前列の左右、最後尾の左の計3カ所から、滑り台状の脱出シューターで次々と乗客が機外に脱出を始めた。
海保に事故の連絡が入ったのは同じころとみられる。午後5時55分、海保機から脱出し、負傷した機長が羽田航空基地に通報した。「滑走路上で機体が爆発した。ほかの乗員については不明」
日航によると全員が脱出して安全な場所に避難を終えたのは衝突から18分後の午後6時5分。まもなく炎は機体全体に回り、3日午前2時15分ごろにやっと鎮火した。「間一髪で助かった」「無事でよかった」。取材に応じた乗客はそろって安堵の表情をみせた。
乗客乗員の脱出を支えた一因とみられるのが「90秒ルール」と呼ばれる原則だ。国際的な航空機の設計基準は、脱出シューターが開いてから、90秒以内に搭乗者全員が脱出できるように定める。
日航によると旅客機の乗員は年1回、90秒以内の避難誘導を訓練する。社員が乗客役となり、幼児がいる、機内外が暗いなど「様々な状況を想定して実施する」(広報部)という。
乗客からは「指示に従い落ち着いて避難を待った」(30代男性)、「大きなパニックになっている人はいなかった」(50代男性)との声も聞かれた。
元客室乗務員の児玉桜代里・明星大特任教授は緊急時の避難誘導について「トラブルが生じた原因や位置が分からないまま脱出を試みるのは危険性が高い。今回は状況の把握が特に難しかった可能性がある」と指摘する。
むやみに出口を開ければ、機内に炎が入り込む恐れもあったとして「訓練を踏まえた乗員の冷静な判断が乗客の安全確保につながったのではないか」とみる。
緊急時の避難誘導は過去の事故の教訓も踏まえて見直しが重ねられてきた。今回の事故でも避難の詳しい状況や改善点を日航などが検証するとみられる。(小川知世、髙橋彩)