今日の話題

  1. 亡国の「帳尻合わせ政策」 負担・痛みの議論、政治が放棄

    => Link
  2. 野本弘文 私の履歴書(11)WOWOW再建

    => Link

政治再考 日本の分かれ目①

亡国の「帳尻合わせ政策」
 負担・痛みの議論、政治が放棄

【この記事のポイント】
・少子化・防衛など負担増の議論を避けるな
・政治の役割は国民を説得して合意を作ること
・与党だけでなく野党・有権者にも責任がある

昭和、平成の時代に繰り返した「政治とカネ」の問題が令和の世で再び起きた。国会は疑惑の追及に時間を費やしながら実態解明に至らないままだ。賃上げや物価上昇という成長機運を政治が後押しできない状況が続けば、日本経済の再興は遠のきかねない。

「月500円弱」という言葉が2月6日、X(旧ツイッター)で飛び交った。少子化対策の財源として2026年度から徴収する「支援金」の1人あたり負担だ。岸田文雄首相が金額を示すや不満が噴き出し、引用数の多さを示す「トレンドワード」に入った。

原因は首相の説明にある。500円の負担に理解を求めるのではなく、社会保障支出を圧縮して保険料を下げたうえで支援金をとるので「実質的な追加負担はない」との論法をとった。

負担増の説明を避けたのは政治の責任だ。政府内で財源を議論し始めた昨春、官房副長官だった木原誠二氏ら首相周辺は関係省庁に「財源は身を切る改革だ」と迫った。行政の無駄を減らして財源をつくるという理屈にし、負担増には触れるなという意味だった。この時期は衆院解散・総選挙の観測が流れていた。

日本は衆院選から次の解散まで平均2.8年。参院選も足すと1990年以降の選挙は22回で、英国(8回)やドイツ(9回)の倍以上。地方選を含めると「重要選挙」は毎年ある。

負担増の議論は選挙への影響を気にして先送りになりがちだ。防衛力強化の財源にあてる増税の開始時期もいまだ決まらない。

そうしている間に、国と地方を合わせた長期債務残高は足元で1285兆円に膨らんだ。国際基準で見た国内総生産(GDP)比は255%と主要7カ国(G7)の中で圧倒的に高い。

財政悪化は政策の幅を狭める。脱炭素とデジタル化を推進するための税制優遇措置は22年度、100億円ほどの想定適用額の半分も使われなかった。菅義偉前政権が肝煎り政策として導入したものの、財政に配慮した厳しい要件で企業が利用に二の足を踏んだ。

成長に必要な政策を打とうにも、政治が財源論に及び腰では実効性を伴わない。霞が関の官僚に財源との「帳尻合わせ政策づくり」を強いるだけだ。

政治の役割は合意をつくること。人口が減る日本は「痛みや負担を誰がどう分担するか」を決め、成長分野へ財源を回すしかない。その決定者たる政治家が自らの裏金疑惑の説明から逃げていては国民を説得して理解を得るなど不可能だ。

政府・与党だけの責任ではない。1月からの国会論戦で野党は批判に傾斜し、少子化対策で財源を含めた負担増の議論は乏しい。

フランスのマクロン大統領は昨年、財政状況を改善する年金改革を実施した。受給開始を62歳から64歳に上げ、公営企業の優遇も減らした。抗議デモが起き、支持率が落ちても断行したのは日本と対照的に映る。

政治を考える際、投票する有権者にも責任の一端があることは忘れてはならない。イタリアのファッション産業が競争力を持った一因は審美眼を持つ消費者が国内に多かったためとされる。経営に例えれば政党はメーカー、政策は商品、有権者は消費者である。

<<Return to PageTop




野本弘文 私の履歴書(11)WOWOW再建

「生活情報事業部 ニューメディア課」。1991年7月、東急不動産への出向を終えて戻った先は、新たにできた数人だけの小さな部署の課長だった。年齢は43歳。本当は今度こそ不動産開発の本流で成果を上げたいという思いだったが、努めて気持ちを切り替えた。「可能性のある新たな分野を勉強できるいい機会だ」。本屋でマルチメディアや衛星放送に関する本を買い込み知識を詰め込んだ。

出向から戻り新たな気持ちで取り組んだ

着任前日、新たな職場の事業部長に挨拶に行ったが、横を向いたままで声をかけていただけなかった。私ではなく別に考えていた人物を課長に据えたかったらしい。いわば「招かれざる課長」だ。これには正直参った。つらい日々が続いたが、仕事で役に立つしかないだろうと割り切り目の前の課題に打ち込んだ。

ケーブルテレビや衛星放送は「これからはメディアの時代だ」と提唱した五島昇の肝いりだったが、私が異動してきた年にバブルが崩壊。環境は厳しさを増していく。

WOWOWは「日本衛星放送株式会社」として84年に設立された日本初の民間衛星放送会社だった。セゾン、三菱商事、東急という3グループを核に、マスコミ各社ほか200社以上の有力企業が株主だった。鳴り物入りで始まった新事業だったが、加入者が伸び悩み、92年には早くも経営危機が表面化した。

すでに100万世帯以上いた加入者は、近い将来、飛躍的に伸びることが見込まれ、事業として将来性があると感じていた。資金難は一時的であり適切な資金手当てと、内在するいくつかの問題点を解消すれば再建可能と考えた。

一方で、セゾングループが主導した再建案はいわゆる新会社方式だった。新会社案では多くの少数株主は参画できず、出資が無駄になる可能性があった。東急を信頼して参画してくれた会社への裏切りとなる。また加入者や知名度などバランスシートに載らない資産をやすやすと新会社に手渡すことになる。

水面下で決まりかけていた新会社案を、なんとか阻止するためには、別の案を考えるしかない。

中核株主が200億円規模の債務保証をして、WOWOWが銀行から融資を受ける案だ。ただ出資先が経営難なところにさらに債務保証をしてもらうわけで、話をまとめるのは極めてハードルが高い。

東急の経営幹部は「もうだめじゃないか」と諦めかけていたが、私は一課長ながら「大丈夫です。斎藤さんに直接、説明に行きましょう」と上司らに提案した。当時日本衛星放送の会長で、経団連の名誉会長でもあった斎藤英四郎さんに賛同してもらうには、直談判が一番いいと思ったが上司は躊躇(ちゅうちょ)していた。「もしうまくいかなかったら野本のせいにしてください」と私は言った。新会社案になぜ反対するのか、なぜ債務保証案でも再建が可能なのか、説明用の資料を急いでつくった。どうにか新日鉄の斎藤さんのお部屋で会うことができ、生意気ながら必死で説明した。

もちろん実際に各社から保証をとりつけなければ融資はおりない。三菱商事のほか、ソニーなど複数株主に対して、社内の協力者とともに当たっていった。力業であったが融資を受けられるだけの株主の協力体制が整い、土壇場で新会社案は取締役会で否決された。

異動当初は挨拶すらしてもらえなかった事業部長にも、後に私の仕事ぶりを評価いただき、頼りにされた。一方、ケーブルテレビ事業は将来性がありながらも社内で撤退が検討されていた。次回は向こう傷を覚悟で事業継続の流れをどうつくったかを記す。


<<Return to PageTop