Nikkei Online, 2024年5月13日 5:00
JR東日本のデジタルトランスフォーメーション(DX)戦略が岐路に立っている。
チケットレス化を前提にみどりの窓口の削減に取り組んできたが、移行は想定通りに進捗していない。
有人の切符販売窓口では混乱が頻発し、削減計画は凍結を余儀なくされた。
使い勝手の悪いネット販売システムの改修を怠ったまま拙速に取り組んだ結果の「デジタル戦略の誤算」で、顧客目線に立った改善が欠かせない。
「インターネットを使ってチケットをご購入いただくお客様は着実に増えているが、想定通りには進んでいない」――
8日の定例記者会見で喜勢陽一社長は苦渋の表情を浮かべた。
同社はネット販売への移行を進めるとしてみどりの窓口の削減に取り組んでいたが、年末年始や春の繁忙期に各地の窓口で長蛇の列ができたことを受け、計画を凍結すると発表。
「お客様に多大なストレスやご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げたい」と謝罪を繰り返した。
JR東日本にとって、みどりの窓口の削減は経営上、大きな意味を持っていた。
計画を発表したのは新型コロナウイルス禍の最中だった2021年5月。旅客需要が低迷する中、首都圏と地方圏で合計440カ所あったみどりの窓口を25年までに140カ所程度と、3分の1以下に減らす目標を掲げた。
運行体制のスリム化やワンマン運転の拡大と並び、有人窓口の削減は固定費圧縮の柱となった。
一方、前提となるはずだったネット販売への移行が順調だったとは言い難い。
「えきねっとの使い勝手は悪い」「客や現場の声を無視してきた結果だ」。
8日、みどりの窓口削減の凍結を伝えるニュースに対し、SNSでは辛辣な意見が並んだ。
JR東日本は01年にICカード乗車券「Suica(スイカ)」のサービスを開始。
06年には携帯電話で使える「モバイルSuica」に進化させた。交通利用に加えて電子マネーとしても使える利便性の高さから、様々な業種での相互利用が急速に進んだ。
DXという言葉が世に広まる前からJR東日本はデジタル化の先駆者だった。
同社のチケット販売サイト「えきねっと」も購入から乗車までオンラインで完結する上、料金の割引やポイント還元などの特典もあるとのうたい文句を掲げる。
しかし新幹線と在来線の連携が悪かったり、検索性が低かったりと様々な問題を抱えていた。
米アップルのアプリ配信サービス「アップストア」におけるえきねっとアプリの評価は5段階中1.6で、使い勝手を酷評するレビューが並ぶ。
21年6月にえきねっとの大規模リニューアルを実施したものの、利用者からの低評価は変わらず。
駅にはオペレーターと通話できる指定席券売機も設置したが、いずれも対面で相談できるみどりの窓口の代替にはならなかった。
コロナ禍で途絶えていたインバウンド(訪日外国人)の急回復という、想定外の事態も重なった。
日本の鉄道システムに不慣れな外国人が、数少ないみどりの窓口に押し寄せて行列の長時間化に拍車をかけた。
JR東日本も中高生の通学定期券をスマホで購入できるようにするなど需要の分散に取り組んだものの、後手に回った。
インフラ企業としてのJR東日本ならではの事情もある。
コロナ禍を受け、同社は22年3月期まで 2年連続で巨額の最終赤字を記録した。にもかかわらず不採算路線の廃止には地元の反発も予想されるため一朝一夕に進まない。
運賃の引き上げも政府の認可制となり、航空便のように需要に応じた柔軟な料金体系を導入できなかった。
拙速にも見えるみどりの窓口の削減だったが、リモートワークの普及で通勤や出張需要が回復しない中、固定費削減を進めるための苦渋の一手だった。
評判の低いシステムも、スマホやタブレットなど電子機器の扱いに不慣れな高齢者などに配慮した DX投資が十分にできなかった裏返しでもある。
もっとも、みどりの窓口を巡る利用者からの苦情件数は無視できない規模まで膨らんでいた。
209カ所(24年4月時点)まで減らした窓口の数を当面維持する上、繁忙期には閉鎖した窓口を臨時で復活させるなど、方針を転換せざるを得なかった。
4月に就任したばかりの喜勢社長にとって手痛いつまずきとなったが、「窓口によらない販売体制を目指すという基本的な方向性については変わらない」として、窓口の削減方針は維持する姿勢を示す。
今後はシステムの改良により、訪日外国人や高齢者を含む利用者をどれだけネット販売に誘導できるかが鍵を握る。
JR東日本はデジタル金融サービス「JRE BANK(JREバンク)」を9日に開始するなど、非鉄道領域の事業拡大を進める。異業種との競争に挑むならば DX進展は欠かせない。23年12月には全社を挙げてデジタル人材の育成に取り組むと発表している。
今回の教訓を糧として、世界に先駆けて交通系 ICカードを普及させた、かつての輝きを取り戻す必要がある。