渋沢栄一になるためには 岸田文雄首相の忘れもの

岸田首相と7月から新しい1万円札の顔となる渋沢栄一(左)

7月から新しい1万円札の顔となる渋沢栄一には、どうしても訪ねてみたい場所があった。孔子のふるさととして知られる中国山東省の曲阜である。

渋沢は1914年に、まだ辛亥革命後の混乱が続く中国を訪問している。

すでに74歳だった。高齢を押して異国への旅に出たのには理由がある。

「目的の一つは曲阜にある孔子廟(びょう)の参拝でした。この機を逃したらいつ行けるか分からないと思ったのでしょう」。渋沢が居を構えていた東京都北区の飛鳥山公園にある渋沢史料館で、館長の桑原功一さんが教えてくれた。

幼いころから論語を学び、人生と実業の道しるべとしてきた渋沢である。孔子廟に参詣するのは長年の夢だった。

もう少しでそれがかなうというときに、異変は起こる。中華民国の大総統だった袁世凱に北京で会ったあと、曲阜に向かう途中に立ち寄った天津で体調を崩してしまったのだ。

結局、旅を打ち切って日本に帰る決断をする。「さぞかし無念だったでしょう」。桑原さんは渋沢の心中を推しはかる。

明治以降に銀行や交通など500社近い企業の設立にかかわった渋沢は「論語と算盤(そろばん)」をうたい文句に、孔子の教えを日本の資本主義に植えつけようとした。

根っこにあったのが「道徳経済合一説」である。

金もうけは決して悪いことではない。ただ、自分だけがもうかればいいという振る舞いでは、いずれ必ず行き詰まる。

では、どうすべきか。大事なのはもうけを社会のために生かす、すなわち「私益」と「公益」を両立させる発想だ。渋沢はそれができてはじめて、国全体が豊かになると考えた。

1980年代に米英から世界に広がった新自由主義は、渋沢が理想とした資本主義とは異なるものだろう。弱肉強食の競争で一部の人に富が集まり、世界で分断が加速した。公益より私益を優先する風潮が強まったのは否めない。

岸田文雄首相は2021年9月の自民党総裁選で「新自由主義的な政策を転換する」と約束した。目標に掲げたのが「新しい資本主義」の実現である。

意識したのは渋沢の思想だろう。それに共鳴する議員連盟の会長を務め、政権発足後は「富める者と富まざる者、持てる者と持たざる者の分断」を防ぐと内閣の基本方針に明記した。

その志をまっとうする政策といえるのだろうか。6月から始まった首相肝煎りの定額減税は、すこぶる評判が悪い。

首相は「税収増を国民に還元する」と繰り返す。国に入ってきた税金が余ったから、国民に分配する。それは渋沢が唱えた公益にかなうものだと主張したいにちがいない。

だが、急激な人口減などで必要な予算はこれからどんどん増える。財政に余裕はなく、減税よりもっと国全体のためになるお金の使い方があるはずだ。

そもそも、肝心の消費をどのくらい押し上げるかをしっかり検証した形跡はない。公益というより、選挙目当ての私益を追求する減税ではないか。国民の多くは見透かしている。

渋沢がかつて暮らした飛鳥山公園には、いまもカイノキ(楷樹)という中国原産の珍しい木がある。孔子が亡くなったときに弟子のひとりが曲阜の墓に植えたとされる木だ。

曲阜を訪ねる夢はかなわなかったが、渋沢はカイノキをながめながら孔子の教えに思いをはせたのだろう。公益とは何か。首相も原点を見つめ直すときだ。

(編集委員 高橋哲史)

 


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