広島80回目の原爆の日 
松井市長「核兵器廃絶を市民社会の総意に」

80回目の「原爆の日」を迎え、ハトが放たれた平和記念式典
(6日午前、広島市中区の平和記念公園)

広島は6日、被爆から80回目の「原爆の日」を迎えた。広島市の平和記念公園では「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が開かれ、被爆者や遺族らが参列した。松井一実市長は平和宣言で「核兵器廃絶への思いを市民社会の総意にしていかなければならない」と訴えた。

松井市長は、ロシアによるウクライナ侵略や中東情勢の混迷を背景に世界では軍備増強の動きが加速していると指摘。自国を守るためには核兵器の保有もやむを得ないとの考えが為政者の間で強まりつつあるとした上で「対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築に向けた議論をすぐにでも開始するべきだ」と呼びかけた。

核廃絶運動を先導した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の元代表委員の坪井直さん(2021年死去)が繰り返した「ネバーギブアップ」の言葉を引用し「被爆者の体験に基づく貴重な平和への思いを伝えていくことがますます大切になっている」と強調した。

日本政府に対しては、24年にノーベル平和賞を受賞した日本被団協を含む被爆者の願いに応えるため、核兵器禁止条約の締約国となることを求めた。

平和記念式典であいさつする石破首相(6日、広島市中区の平和記念公園)

石破茂首相は、広島平和記念資料館を2年前に訪問したことに触れて「『核兵器のない世界』の実現に向け歩みを進める上で土台となるのは、被爆の実相に対する正確な理解だ」と述べた。

22年に発表した核軍縮への行動計画「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき「核兵器保有国と非保有国とが共に取り組むべき具体的措置を見いだすべく努力を続ける」と語った。

式典には過去最多となる120カ国・地域や欧州連合(EU)代表部の代表者が出席した。広島市は従来は参列を求める各国・地域に招待状を送っていたが、今年は外交ルートのある国・地域全てに案内文を送付する形に変更した。参列者は約5万5000人だった。

式典では、この1年間に亡くなったり、死亡が確認されたりした4940人の名前を加えた原爆死没者名簿が原爆慰霊碑の石室に納められた。記帳された死没者総数は34万9246人となった。

80回目の「原爆の日」を迎えた広島市の平和記念公園。
早朝から多くの人が原爆慰霊碑の前で手を合わせていた(6日午前)

平和記念公園では6日早朝から、原爆慰霊碑に花を手向ける人が絶えなかった。車いすに乗った被爆者や喪服で合掌する遺族の姿もみられた。

広島市の成田和子さん(74)は母が爆心地から約2.4キロで被爆し、祖父母のうち3人は消息不明だという。「人知れず亡くなり、存在を語られなくなった被爆者が数多くいることを知ってほしい。平和の尊さを周囲に伝えることが、自分に残された使命だ」と語った。

同市の久保田桂子さん(63)の父は入市被爆し、6年前に原爆症で亡くなった。父は晩年になり、13歳当時の記憶を語り始めた。広島駅付近に黒焦げになった遺体が転がり、やけどをした女学生から「水をくれ」と懇願されたという。久保田さんは年1回、父の被爆体験を伝える場を設けており「記憶を継承し続けたい」と誓った。

被爆の実相を見つめ直すため、海外の人も広島に足を運んだ。

ポーランドから訪れたプシャメスワフ・バシュタックさん(47)は、家族とともに式典に参加した。母国は大国の間で翻弄され、隣国のウクライナはロシアから侵略を受けている。「世界平和のため、各国の首脳に広島を訪ねてほしい。広島の犠牲者と、戦争で現在も亡くなっていく人たちのために祈りたい」と話した。


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