Nikkei Online, 2025年8月9日 11:34更新
長崎は9日、80回目の原爆の日を迎えた。爆心地に近い平和公園では同日午前、長崎市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)が開催された。鈴木史朗市長は平和宣言で、核兵器の廃絶を強く訴え、長崎を最後の被爆地にするための決意を示した。
鈴木市長は平和宣言の冒頭で「あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか」と話した。対立と分断の悪循環で、各地で紛争が激化しているとし、「このままでは、核戦争に突き進んでしまう」と危機感をあらわにした。
長崎で被爆した故・山口仙二氏が国連本部で訴えた「ノー・モア・ヒロシマ ノー・モア・ナガサキ ノー・モア・ウォー ノー・モア・ヒバクシャ」の言葉を引用した。「被爆者の思いの結晶そのもの」と強調した。
核廃絶への声を上げ続けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞に言及した。国境を越えた「地球市民」の視点が「分断された世界をつなぎ直す原動力となるのではないでしょうか」と投げかけた。
すべての国の指導者に向けて、2026年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議が「人類の命運を左右する正念場」になるとの認識を示した。「長崎を最後の被爆地とするためには、核兵器廃絶を実現する具体的な道筋を示すことが不可欠」だと求めた。
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石破茂首相は長崎で被爆しながら救護活動に奔走した医師の故・永井隆博士が残した「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」との言葉を引用した。「長崎と広島で起きた惨禍を二度と繰り返してはなりません」と訴えた。
22年に発表した核軍縮への行動計画「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき「核兵器保有国と非保有国の双方に対し、一致団結して取り組むよう粘り強く呼びかける」と述べた。24年12月からは国の援護区域外で長崎原爆に遭った「被爆体験者」への医療費助成も始めており、被爆者支援とともに着実に実施するとした。
式典には94カ国・地域と欧州連合(EU)が参加した。昨年は抗議活動などの不測の事態が起きるリスクを理由に招待を見送ったロシア、ベラルーシ、イスラエルも招いた。台湾は初めて出席した。
今年は「平穏な環境を確保しつつ、全ての分断を乗り越えて、あらゆる国の代表に集まっていただく式典にしたい」(鈴木市長)として、日本に在外公館を置くすべての国や地域に招待状を、国連に代表部を置く国には新たに案内状を送った。
式典では、この1年間に新たに判明した原爆死没者3167人の名簿も奉安された。死没者は計20万1942人になった。全国の被爆者数は2025年3月末時点で9万9130人で、平均年齢は86.13歳となった。
9日は早朝から激しい雨が降った。多くの人が平和公園を訪れ、平和祈念像前で手を合わせた。
長崎市の川上多津子さん(85)は爆心地から約500メートルの自宅で被爆した。体験を時折語っているが、「凄惨な記憶が伝わっているだろうか」と不安も覚える。「核兵器の使用は許されないと地道に訴えるしかない」と強調した。
大阪府茨木市の岡村ヒロ子さん(76)は被爆者との交流を通じ、長崎を訪れるようになった。「平和に向けて諦めず、考え、言葉を発していかなくてはならない」と力を込めた。
爆心地から北東に約500メートルの浦上天主堂(長崎市)では午前6時から鎮魂のミサがあり、約200人のカトリック信徒らが集まった。
同市の無職、野口敬治さん(72)は毎年ミサに参加している。軍需工場で被爆した両親から、「喉が渇いた。水をくれ」と乞いながら亡くなった人たちの様子を聞いて育った。「被爆80年の節目に、真に平和な社会に立ち返る願いを強く持たなくてはならない」と語った。
同市の中学2年、富田凛さん(14)の曽祖父は爆心地から約1キロの自宅で被爆した。出生前に原爆症で亡くなった曽祖父に思いをはせ、「世界の一人ひとりが核廃絶を願い、長崎を最後の被爆地にしてほしい」と祈った。