東京大学名誉教授
Nikkei Online, 2024年8月27日 2:00
2015年2月、安倍晋三首相は「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」を発足させた。8月の戦後70年に向けて首相談話の準備が目的だった。
私は70年談話がぜひ必要だとも思わなかったが、首相が出すと言った以上は良いものを出さねばならない。この懇談会には人選から関与した。座長は経済界から西室泰三氏、私が座長代理。歴史研究者、米国、中国などの地域研究者、メディア関係者などで構成した。
最初に私が次のような報告をした。
(1)19世紀末以来、世界は帝国主義に覆われていた。欧米がアジアを植民地化し、日本も植民地を持つようになった。
(2)第1次世界大戦後、帝国主義的な膨張を否定し、国際協調を目指す動きが生まれた。
(3)しかし、その秩序は脆(あやう)いものだった。日本は大恐慌で打撃を受け、活路を対外膨張に見出(みいだ)そうとした。制御すべき首相の権限は弱く、国際協調システムも脆弱だった。
(4)満州事変に続き、欧州でも国際秩序への挑戦が起き、ついに世界大戦となった。国際秩序崩壊の引き金を引いたのは日本だった。
(5)アジアの国々と日本国民に悲惨な結果をもたらした政府・軍指導者の責任はまことに大きい。
(6)戦争の結果、アジア諸国の独立が進んだが、全体として日本がアジア独立のために戦ったとは言えない。
その後の会合で戦後について次のように述べた。
(7)日本は相当の謝罪と補償をしており、一般国民がこれ以上の謝罪を続ける必要はない。
(8)戦後日本は世界平和、世界秩序の忠実な支持者だったが、さらに大きな役割を果たすべきである。
(9)過去の歴史をしっかり記憶に刻むことが重要である。そのため、近代史教育のあり方に大きな改革が必要である。
報告書を読んでいただければわかるが、私の報告が全体の基調となった。各地域における和解プロセスなどを肉付けした。原案に盛り込んだ「侵略」を巡り、ある委員から「明確な定義のない言葉を使うべきでない」との異論があった。大部分の委員は、言葉の意味は歴史用語として明確で、日本の満州事変以後の行動は明らかに侵略である、としたので、修正せず、そのような少数意見があったと注に書くにとどめた。
懇談会の報告書は長いものだが、戦後70年談話はこれを基礎にしている。談話作成にあたって、首相と私とは頻繁にやり取りをした。私の教え子である佐伯耕三君が首相官邸で副参事官をしており、毎日のように私のオフィスに来て首相の意向を伝え、私の助言を持ち帰った。その回数は十数回に及ぶ。
最終的には談話は安倍首相の文章である。よくできていると思う。おおむね各方面から歓迎された。右派の大御所である渡部昇一氏から櫻井よしこ氏まで評価してくれた。
報告書が出るまでは、侵略という言葉が入るかどうかがメディアの関心の的となっていた。しかし、侵略という言葉を使わなくても真摯な談話は書けるし、使っていてもうわべだけのものもある。重要なのは、世界の動きを踏まえ、事実を基礎とした率直な文章にすることである。
私は左右の無用の対立をなんとか解消したいと考えていた。それはある程度達成されたのではないか。海外からの歴史問題に関する日本批判は急速に小さくなった。
それは、一面では中国の膨張の危険を世界が感じ、その主張に疑問を持ち始めたからではある。それでも、この懇談会での作業が一定の役割を果たしたと、ひそかに思っている。