不思議の国の税収還元セール
デフレ対応終えられぬ日本

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Nikkei Online, 2023年10月18日 10:00

岸田文雄首相は異例の低金利に安住し、選挙向けのバラマキを繰り返す

2年前の当欄にこう書いた。米国民の一部に「洞穴症候群(ケイブ・シンドローム)」がみられると。新型コロナウイルスへの感染を恐れるあまり、自宅から外に出られなくなる症状だった。

日本の当局にも、必要以上にガードを固めるきらいはあった。コロナ禍が峠を越したのに、感染症法の5類への移行が遅れ、医療体制や社会生活の正常化に米欧より時間を要したのは確かだ。

それだけではない。日本を取り巻く物価・金利情勢が大きく変わったにもかかわらず、デフレモードの経済政策運営を容易に修正できないところにも、洞穴症候群と同じような危うさを感じる。

大盤振る舞いが過ぎる対策

10月20日召集の臨時国会では、当面の経済対策をめぐる論戦が焦点となる。政府・与党は物価高騰への対応を中心とする具体策を10月末までに詰め、これらを裏付ける2023年度補正予算案を11月後半に提出する構えだ。

岸田文雄首相が唱える「税収増の還元」は、賃上げや設備投資を促す法人減税にとどまらず、所得減税にまで広がるかもしれない。ガソリン・電気・ガス代の負担増を和らげる補助金の延長、低所得世帯への給付も柱に据える。

コロナ下のペントアップ(先送り)需要の顕在化、インバウンド(訪日外国人)消費の持ち直しなどに支えられ、日本経済はなお回復の途上にある。23年7〜9月期はマイナス成長に沈んだとの見方が多いものの、同4〜6月期の大幅な輸入減(成長率の押し上げ要因)の反動が大きく、一時的な足踏みで済むとみられる。

もちろん不安は残る。ロシアとウクライナの戦争に、イスラエルとイスラム組織ハマスの衝突が重なり、地政学上の危険は格段に増した。エネルギー危機の再燃や金融市場の混乱といったリスクとも向き合わなければならない。

それでも今回の経済対策は、大盤振る舞いが過ぎる。最たる例はガソリンなどの補助金である。脱炭素との整合性や市場機能のゆがみを顧みず、巨費を投じて一律に支援するのはもうやめにしたい。原則12月末の期限をさらに延長するのではなく、真の弱者に絞った救済策に切り替えるべきだ。

上振れしている物価指標

そもそも日本に税収増を還元する余裕があるのだろうか。国際通貨基金(IMF)は最新の世界経済見通しを盛り込んだ報告書で、主要27カ国の国内総生産(GDP)に対する公的債務残高の比率を示した。コロナ危機前の19年から22年までの上昇幅をみると、日本の24ポイント弱が最も大きい。

賃上げ促進税制などの拡充はともかく、幅広い所得減税に踏み込むような局面なのか。むしろ24年度予算案に盛り込む防衛費や少子化対策、グリーン投資の財源に充て、この先に控える増税や社会保険料の引き上げを少しでも抑えるほうが賢明に思える。

日本の物価高は、資源や食料などの輸入価格の上昇が起点だ。米欧とは逆方向の大規模な金融緩和が誘発した円安に助長された面もある。これらを放置したまま、一時的な補助金や減税で痛みを抑え続けるのは限界があろう。

政府はデフレ脱却を「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」と定義する。消費者物価、GDPデフレーター、需給ギャップ、単位労働コストの4指標からみて、条件を満たしきってはいないというのが公式見解だ。

だが物価指標は思ったより上振れしている。日本経済研究センターがまとめた10月のESPフォーキャスト調査によると、エコノミスト35人が予想する24年度の消費者物価上昇率(生鮮食品を除く総合)は平均1.9%強で、2%の目標に近い。企業や個人の各種の物価見通しも高水準が続く。

国際決済銀行(BIS)は6月の年次経済報告書で、5年を超える長期物価見通しの試算を示した。日本の家計が予想する物価上昇率は、20年末の2%からドイツと並ぶ5%まで高まり、米国や英国の3%程度を上回るという。

「賢く使い、賢く賄う」知恵

「日本経済は別の世界に入りつつあるのではないか」。日本経済研究センターの小峰隆夫理事・研究顧問(大正大学客員教授)は、最近の講演でこう話していた。国民の意識変化や企業の価格転嫁の進捗を根拠に、かつてのデフレには戻りにくくなったとみる。

「状況が変わっても、例外的な政策対応をいつまでも求められる点に大きな問題がある」と野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストは語る。日銀は後手に回った金融緩和の修正を急ぎ、政府・与党は財政政策の軸足を短期の需要追加から中長期の成長底上げに移すよう求める。

日銀の植田和男総裁は、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)やマイナス金利の修正を視野に入れる。日本も世界的な物価や金利の上昇から孤立して金融政策を運営できない――。米経済学者のケネス・ロゴフ氏が国際言論サイト「プロジェクト・シンジケート」への寄稿で鳴らした警鐘を、かみしめているはずだ。

ならば異例の低金利に安住し、安易なバラマキを繰り返してきた政府・与党も、襟を正す必要がある。安全保障や経済成長、社会保障、環境保護などの財政需要が膨らむなかで「賢く使い、賢く賄う」知恵を絞らざるを得ない。

インフレモードの世界に足を踏み出せず、洞穴に閉じこもる不思議の国ニッポンのエコノミクス。選挙対策の「税収還元セール」を競っている場合ではあるまい。

 

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