Nikkei Online, 2025年1月4日 6:14
【ワシントン=坂口幸裕、八十島綾平】日本製鉄によるUSスチールの買収計画が頓挫した。米大統領選で働く「政治的合理性」に翻弄された結果だ。選挙戦のさなかに勝敗を分ける激戦州で米国を象徴する製造業が外国企業に買収される抵抗感は経済の合理性と別次元にあった。
「大統領選の時期にこの取引を持ち出せば『アメリカン・パイ』になるのは明らかだった」。共和党のトランプ次期大統領の政権移行チームの関係者は「古き良き米国」を懐かしむ1970年代のヒット曲になぞらえる。
米国の郷愁を刺激した――。「米国の製造業復活」を掲げるトランプ氏が米国を代表する鉄鋼大手USスチールの買収に反対し、政敵である民主党のバイデン米大統領も巻き込んで政治問題化するのは当然の帰結だったと話す。
日鉄がUSスチールの買収計画を発表したのは、2024年11月の大統領選まで1年を切った23年12月。全米鉄鋼労働組合(USW)が計画に即座に反対を表明すると、トランプ氏も翌月に続いた。労働組合を地盤とするバイデン氏も24年3月に慎重な発言をせざるを得なかった。
USスチールやUSWが東部ペンシルベニア州に本社・本部を構えることも争点化に拍車をかけた。過去の大統領選で勝敗を決めた最大の激戦州で、労働者票を意識する両候補は労組の意向をくまざるを得ない。
勝利した8年前の大統領選の再現を狙うトランプ氏。返り咲くには製造業が集積する「ラストベルト(さびた工業地帯)」の労働者の反発を招きかねない選択はあり得なかった。
24年7月、日鉄がトランプ前政権で米国務長官や米中央情報局(CIA)長官を務めたマイク・ポンペオ氏をアドバイザーに起用したと報じられた。米報道によると、日鉄は起用理由について「(共和、民主の)両陣営から尊敬されている」と説明した。
結論を見れば、この人事が功を奏したとは言いがたい。トランプ氏は大統領選での勝利が固まった3日後に、ポンペオ氏を新政権の要職で起用しないと明言した。ポンペオ氏は第1次政権後、トランプ氏を念頭に「後ろを見るのではなく、前を向くリーダーが必要だ」と批判した経緯がある。
日米関係に詳しい別の政権移行チームの関係者は「トランプ氏に近い人物が今回の買収計画を相談された形跡はない。日本側はポンペオ氏を代理人だと思っているようだが、現在2人は親しい関係にあるわけではない」と断言する。
バイデン氏は24年4月、ペンシルベニア州ピッツバーグにあるUSW本部で労組関係者を前に演説し、「国内で所有・運営される米鉄鋼企業であり続けることが重要だ」との考えを改めて訴えた。
その時、最前線でバイデン氏の演説を聞いていたある産別労組幹部は「(買い手が)同盟国の日本かどうかは重要な問題ではない。米国か、米国でないかが重要なんだ」とささやいた。この考えは、バイデン、トランプ両氏の思考にも通じる。
日鉄は結局、買収発表から中止命令に至るまで「外資」から脱することはできなかった。日鉄側のある関係者は「日鉄幹部が発表直後からペンシルベニアに住み込んで、地元関係者や政治家との関係づくりをするべきだった」と悔やむ。
今回の中止命令の根拠となった CFIUSによる投資規制は、1980年代の日米半導体摩擦をきっかけに作られた。その後の制度改正で、カナダやオーストラリアなどの同盟国には審査の例外規定を設けたが、日本は今も例外扱いされていない。
80年代当時、日米摩擦に直面したソニー共同創業者の故・盛田昭夫氏は生前、日本企業による対米投資をこう振り返っている。「米国の地域社会に英国人などが投資をして入ってきても異邦人の侵入と受け取られない。だが、日本人が行くと何か分からない異邦人が入ってきたと思う。それは恐怖心と不安感を与えるからだ」
盛田氏は「(日本企業の)本社自体から米国に溶け込むような進出を図るべきだ」と米国の「一部」になる重要性を説いた。
「米国の一部」になり損ねた日鉄。日米摩擦から30年以上たって再び、盛田氏の教訓が重く響く。