Nikkei Online, 2024年10月27日 4:00
資源の採掘に使う「フラッキング(水圧掘削法)」という技術が、米国で政治的な対立のテーマになっている。環境対策か、資源開発かの立場の違いの縮図でもあり、大統領選の争点の一つだ。原油、天然ガス価格にも影響するだけに注目される。
9月10日、ペンシルベニア州フィラデルフィアで行われた大統領選候補者テレビ討論会。民主党のカマラ・ハリス副大統領と共和党のドナルド・トランプ前大統領は、経済や移民政策と並んでフラッキングを俎上(そじょう)に載せた。
ハリス氏「ここはペンシルベニアなのでフラッキングについて話しましょう。私は副大統領として禁止していない」
トランプ氏「彼女は12年間反対してきた」
環境対策推進派のハリス氏は、4年前の大統領選でフラッキング禁止を打ち出した。化学物質を含んだ大量の水を地中に吹き込んで岩盤を粉砕し、石油やガスを取り出すフラッキングは生産効率が高い半面、化学物質やガスの漏出、周辺の水質を汚染するリスクが指摘されていた。
今回、ハリス氏は百八十度方向転換したが、資源開発に前向きなトランプ氏はハリス氏の本音は変わっていないと攻め立てた。
なぜ掘削方法という一般有権者に関係の薄そうなテーマが、大統領候補者が角を突き合わせるほどの争点になるのか。現在、フラッキングは全米の大半のシェール油田、ガス田で使われている。技術改良が進んでシェール全盛をもたらし、米国が最大の産油国に浮上する原動力になった。
仮に禁止されてしまうと生産量が減少し資源会社の雇用に影響するほか、エネルギー価格の高騰を招く可能性もある。雇用、インフレ政策は有権者に訴求する効果が大きいため、起点のフラッキングに触れざるを得ない。
「ここはペンシルベニアなので」とハリス氏が言ったように、ペンシルベニア州はフラッキングと関わりが深い。その恩恵とリスクを象徴する州だ。頁岩(けつがん)の地層が広がり、石油、天然ガスが大量に埋蔵されている。天然ガス生産量は全米の約2割を占め、州としては第2位、シェールガスだけでみると全米の約3割になる。エネルギーが主要産業のため、トランプ氏はハリス氏が当選すると関連する30万人の雇用が失われると主張する。
一方で、環境汚染という負の側面に初めて本格的にスポットライトが当たった地でもある。ガス田周辺で起きた水質汚染の実態を明らかにした2010年のドキュメンタリー映画「ガスランド」は州北東部の小さな町が舞台だった。地下水にメタンガスが浸透して家庭の水道水が汚染された。映画の中で象徴的に描かれた、蛇口の水が発火する場面が全米にフラッキングという言葉を知らしめ、危険性への認識を高めるきっかけになったとされる。
環境対策か、資源開発か。すでに環境を選んだ州もある。カリフォルニア州は10月から石油、ガス田へのフラッキング許可証の発行をやめた。ニューサム知事は2020年、地域と労働者の健康、安全を守るため禁止の方針を発表していた。バーモント、メリーランド、ワシントンなどの州もすでに法律で禁止している。
ニューヨーク州議会はさらに徹底している。3月、州外の企業が着手しようとした二酸化炭素を使った新型の破砕法にも網をかけた。推進する議員は「フラッキングが地域社会を脅かす重大な健康、環境問題を引き起こすことを知っている。10年以上前、私たちの州は禁止することで公衆衛生と環境を保護した。二酸化炭素の使用と戦う行動をしなければならない」としている。
そもそもフラッキングのルーツは南北戦争まで遡る。シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネスによると、1862年のフレデリックスバーグの戦いで、ある中佐が近くの川に魚雷が命中したことをきっかけに思いついたとされる。魚雷を井戸に下ろし、爆発させて石油と天然ガスを抽出する方法を発明した。
その後、1949年に石油掘削大手ハリバートンが初めて商業的に採用し、技術の進歩によって全米で使用されるようになった。そして「フラッキングの父」と呼ばれるジョージ・ミッチェル氏が砂を使う技術を完成させ、飛躍的な産出量増加につながった。「フラッキングによって、エネルギー不足と不確実性の時代から、豊かさ、手ごろな価格、多様性の時代に移行した」(シカゴ大学)という。
フラッキングに支えられた米国のシェール革命は、エネルギー安全保障の面で大きな貢献をしてきた。石油や天然ガスを中東に依存すると地政学リスクに巻き込まれやすいが、米国が資源の一大生産国に転換したことで経済の安定につながった。
天然ガスをみると、液化天然ガス(LNG)の輸出量は2021年ごろから急増し、カタールやオーストラリアを抜いて23年に最大の輸出国になった。
米国内のエネルギー消費に占める割合も伸びており、23年に天然ガス(35.9%)は石油(37.9%)に次ぐ2位で、再生可能エネルギー(8.8%)や石炭(8.7%)を大きく上回っている。人工知能(AI)の普及に伴うデータセンターの拡張が電力消費を増やす見込みで、天然ガスを使う発電の需要増加が見込まれるが、国内の生産量が価格の高騰を抑えている。
ただ、米エネルギー情報局(EIA)のデータによると、右肩上がりで推移してきたシェール石油、ガスの生産量はここ数年伸び悩みの傾向が出ている。テキサス州とニューメキシコ州にまたがる有力な生産地パーミアン盆地は、技術革新と生産効率の改善が生産量の増加を支えているが、既存の油田、ガス田は成熟期を迎えているという指摘もある。
そうしたなかでのフラッキング禁止を巡る議論は、シェールの生産を前提にしてきた米国経済や政治にも影響しかねない。環境対策か資源開発かという二元論のように見えるが、その背後にはもっと深遠な問題が横たわっている。
(シニアライター 山下真一)
[日経ヴェリタス2024年10月27日号]