Nikkei Online, 2022年4月10日 2:00
ウクライナ紛争を受けて、サプライチェーン(供給網)の混乱に拍車がかかっている。米国など主要7カ国(G7)とロシアによる制裁の応酬で、ロシアやウクライナからのエネルギー、農産物、半導体などの供給のほか、黒海やシベリア上空の物流に支障が出ている。また、米国のバイデン大統領が紛争を民主主義と専制主義の戦いと位置付けたため、欧米企業が西側民主主義と距離を置く国の供給拠点を見直そうとしている。中長期的に新興国の安価な労働力や資源の有効活用がしにくくなるため、冷戦後のグローバリゼーションは終わったとの指摘も出ている。
グローバルなサプライチェーンは、米中の貿易摩擦や新型コロナウイルスの感染拡大で混乱した。米大手金融機関、シティグループのリポート「グローバルサプライチェーン、通常に戻る複雑な道」(GLOBAL SUPPLY CHAINS: The Complicated Road Back to "Normal")で、筆者のネイサン・シーツ氏らは「過去40年以上にわたるジャストインタイムの在庫とグローバルな製造への移行は、消費者、企業、政府に利益をもたらしたが、パンデミック(世界的大流行)で新たな課題が生じた。供給側で都市封鎖(ロックダウン)により生産現場が閉鎖され、需要側で消費者が耐久消費財への支出を増やした。企業は生産に必要な中間財や原材料を確保できず、サプライチェーンが混乱した」と指摘していた。
この混乱に、拍車をかけたのがウクライナ紛争だ。米国などはロシアが一方的に軍事侵攻したとして経済制裁を実施したため、ロシアは欧米が主導する国際経済から切り離され、制裁対象のロシアや戦場となっているウクライナを取り込んだサプライチェーンが機能しにくくなっている。
最も懸念されているのはエネルギーで、とりわけロシア依存が高い欧州への影響が大きい。ロシアは世界の天然ガスの約17%、石油の約12%を生産しているほか、原子力発電に必要な濃縮ウランの業界ではロシアの国営原子力企業ロスアトム傘下のトベルフュエルが世界シェア約4割の最大手だ。
米ダラス連銀が公表したリポート「2022年のロシアの石油供給ショック」(The Russian Oil Supply Shock of 2022)で、筆者のルッツ・キリアン氏らは「ロシアの石油供給不足を解消できなければ、石油の過剰需要をなくすために、石油の価格を長期間大幅に上昇させる必要がある」と指摘している。影響として、欧州が経済活動を維持するため化石燃料依存を減らす計画の一時停止、サプライチェーンの混乱によるインフレ圧力継続、世界的な景気後退の3つを挙げている。
食品の供給網にも暗い影を落としている。ロシア、ウクライナともに小麦の主要な輸出国であるためで、この面では小麦輸入の6割以上をロシアに依存するエジプトやスーダンなどアフリカが深刻だ。
国連貿易開発会議(UNCTAD)はリポート「ウクライナ戦争の貿易と開発への影響」(Ukraine war's impact on trade and development)で「ウクライナとロシアは農産食品市場の世界的プレーヤーで、ひまわり油と種子の世界貿易の53%、小麦の27%を占めている。25ものアフリカ諸国が、両国から小麦の3分の1以上を輸入している」と懸念している。
食品への不安を増幅しているのが、肥料の問題だ。国連食糧農業機関(FAO)は情報ノート(The importance of Ukraine and the Russian Federation for global agricultural markets and the risks associated with the current conflict)で、ロシアが窒素肥料で世界1位、カリウム肥料で2位、リン肥料で3位の輸出国であることを明らかにしている。肥料の供給不足が起きれば、肥料価格が上がり、世界中の農産物価格に響きかねない。
これに関連して、米国は3月24日に対ロシア制裁で対象個人を拡大する制裁強化を発表する一方、第三者への意図しない結果を最小限に抑えるためとして肥料・有機肥料についての輸入制限を事実上、解除している(Russian Harmful Foreign Activities Sanctions Regulations 31 CFR part 587)。
IT(情報技術)への影響も小さくない。世界的に半導体不足が鮮明になっているが、半導体のチップ設計作業時に使うレーザーの動力源であるネオンガスの大手輸出企業はウクライナにある。また、センサーやメモリーの製造に使用されるパラジウムは、ロシアが世界生産の37%を占めている。
米国に本部がある非営利の供給管理組織、サプライマネジメント協会(ISM)はブログの記事(Semiconductor Concerns Rise Amid Ukraine-Russia Conflict)の中で、ISMの役員であるジェフリー・ウィンセル氏の「ウクライナで起きていることが、多様化されていない企業の半導体サプライチェーンをさらに複雑にする可能性がある」との指摘を紹介している。
またITソフトウエアの開発・保守はウクライナの有力産業で、国内総生産(GDP)の4%を占めている。ソフトウエアエンジニアリングの米EPAMは1万4000人のウクライナ人の従業員を抱えており、一時的にビジネスに影響が出るのは避けられそうにない。
ウクライナには小規模なIT関連スタートアップ企業も多く、同国のIT人材を活用してサービスを提供する欧米企業への影響が広がる恐れもある。
物流への打撃も大きい。オランダの大手金融機関、INGのリポート「サプライチェーンの形を変え、世界貿易を打ちのめすロシアとウクライナの危機」(Russia-Ukraine crisis to reshape supply chains, flatten world trade)は「ロシアの港の回避と空域の相互閉鎖は、新たな非効率性と航空貨物容量の減少につながる。継続的なサプライチェーンのトラブルとインフレと輸送コストの上昇は、貿易に下振れリスクをもたらす」と指摘している。
また米金融大手、JPモルガンのリポート「コンテナ輸送の洞察+中国供給の混乱」のなかで、筆者のカレン・リー氏らは「ウクライナとロシアの緊張の高まりは、航海スケジュールを混乱させ、積み替え港間の貨物の迂回を引き起こし、サプライチェーンの問題を悪化させる可能性がある。港や駅など重要なインフラを標的としたサイバー攻撃のリスクは、グローバルなサプライチェーンにさらなる逆風をもたらす可能性がある」と分析している。
コロナ禍による混乱だけなら、感染が収束すれば正常化が期待できたが、バイデン大統領が紛争を民主主義と絡める姿勢を鮮明にしていることで、企業は中長期的なサプライチェーンの再構築圧力にさらされている。欧州の企業関係者によると、ロシアに隣接し、反ロシア的な姿勢をとっている国は敬遠される可能性があるほか、開発独裁色が強い新興国への供給網展開は再点検を迫られることになる。
米経営学誌、ハーバード・ビジネス・レビューが公表した論文「ウクライナ戦争が世界のサプライチェーンをどう混乱させているか」(How the War in Ukraine Is Further Disrupting Global Supply Chains)で、筆者の米マサチューセッツ工科大学(MIT)のデイビット・シムチ・リーバイ氏は「ウクライナ戦争が欧州の製造工程に大きな影響を与えたことで、グローバルサプライチェーンに関連するリスクが浮き彫りになった。欧州が国内製造業を強化する可能性がある。企業はサプライチェーンのストレステストを行い、リスクに対する耐性を高める戦略をとる必要がある」と指摘している。
また、米投資銀行、ゴールドマン・サックスの米国経済リポート「サプライチェーンの頑健性の強化」(Strengthening Supply Chain Resilience)で、筆者のロニー・ワーカー氏は「米企業はサプライチェーンのレジリエンス(回復力)の強化に動いている。対応策として、海外から米国への生産回帰(リショアリング)、サプライチェーンの多様化、在庫を過剰に積むことがある。今のところ、リショアリングは限られているが、市場はいずれこの方向に進むと期待しているようだ」と分析している。
効率的なサプライチェーンが重要な要素だったグローバリゼーションは終わったのではないかとの見方が出ている。ベルギーにあるゲント国際ヨーロッパ研究所が公表した論文「私たちが知っているグローバリゼーションの終わり」(The End of Globalisation As We Know It)のなかで、筆者のフェルディ・デ・ビル氏は「戦争が平和的に解決され、ロシアに対する制裁が撤回されたとしても、外国企業はこれまでと同じようには投資しないだろう」と、企業行動の変化に言及している。そのうえで「ウクライナでの戦争とロシアに対する西側の制裁が世界経済を(少なくとも)2つの部分に分割するだろう。経済と貿易が地政学的なレンズを通して認識されるようになると、効率や持続可能性よりも、安全と防衛が優先される可能性がある」と指摘している。
また、投資情報サービス、アジア・ブリーフィングの創設者であるクリス・デボンシャー・エリス氏はリポート「2022年、グローバリゼーションの終わり」(2022: The End Of Globalization)で「(制裁で)新しい鉄のカーテンが引かれ、それはグローバリゼーションの後退になる。グローバル化を支えてきた国際決済網の国際銀行間通信協会(SWIFT)は、今日、正しいか間違っているかはともかく、政治的罰の手段として使われている。(中略)これはウクライナについての単なる戦争ではなく、グローバリゼーションに対する世界的な闘争だ」と論評している。
ロシアのシンクタンク、カーネギー財団モスクワセンターのドミトリー・トレーニン氏は論文「ロシア、グローバルシステムでの卓越性を求めて」(Russia: Looking for Prominence in the Global System)のなかで「クレムリンは、西洋の基準に基づく統一という形でのグローバリゼーションを、国民のアイデンティティーと固有の文化に対する脅威と見なしている。グローバリゼーションは一般的に前向きな現象だが、それは全世界の西洋化と同等であってはならない。ロシアはBRICSの他の諸国や、エジプト、イラン、サウジアラビア、トルコなどの非西欧の国々と協力している」と強調している。実際、ロシアはウクライナ侵攻後に、インドのガス会社に石油を売っているほか、イランとはSWIFTを使わない決済を検討している。