Source: Nikkei Online, 2024年4月14日 17:23更新
【カイロ=岐部秀光】イランはイスラエルへの報復で本土への直接攻撃という「禁じ手」をつかった。イスラエルの対応次第では、中東は、だれひとり望まなかったはずの国家どうしが戦火を交える混迷の時代に舞い戻りかねない。
世界への石油・天然ガスの重要な供給源である中東は民族や宗教の対立の火ダネが多い世界で最も不安定な地域だ。直接の衝突が取り返しのつかない危機につながることを各国の指導者は認識し、限定的な挑発や交戦から踏み外さないよう細心の注意をはらってきた。
そのルールをやぶり1990年、クウェートに侵攻したフセイン政権のイラクは、冷戦後の「唯一の超大国」となった米国の強力なリーダーシップによって国際社会から厳しい罰を受けた。
暗黙のルールは、米国の指導力が衰えるなかでイランとイスラエルが危険なエスカレーション戦略をかさね、ついにくずれた。今月の在シリアのイラン公館へのイスラエルによるとみられる攻撃で対応を試されたイランは、常とう手段だった代理勢力ではなく、みずからの手でイスラエルを直接狙った。
イランはなお米国やイスラエルとの正面衝突は求めていない。着弾まで数時間かかるドローン(無人機)による攻撃を事前予告していた。大がかりな報復であることを内外にアピールする一方で、民間人の被害を最小限に抑える狙いがあったとみられる。
それでも過剰報復の連鎖が制御不能の危機をまねくリスクは一気に高まる。米国やイスラエルの対イラン強硬派のあいだでは、この機にイランの核開発能力を破壊すべきだという議論が交わされている。米国がイラン攻撃で湾岸アラブ領内の基地を使えば、アラブ諸国も対立に巻き込まれてしまう。
実はイスラエルとイランが抱える安全保障上の課題は同じだ。国家や体制の存続のため抑止力を回復するという切実な目標だ。
ハマスによる越境襲撃を受けたイスラエルは2度と同じような攻撃を許さぬよう、強烈な反撃の意思と能力を敵対勢力に示す必要がある。イランはイスラエルや米国との対立が深まる一方、イスラム教スンニ派の過激組織によるテロの標的にもなっており、弱みをみせることはできない。
イランの最高指導者ハメネイ師は軍や革命防衛隊に「戦略的忍耐」を求めたが、これ以上は強硬派の声を抑えきれない。革命防衛隊のカリスマ指導者だったソレイマニ司令官は20年に米軍によって殺害された。イランは報復を誓ったが、実際はイラクの米軍駐留基地への空爆という抑制的なもので、ソレイマニ氏の支持者には不満が残ったとみられる。
歯止め役は見当たらない。多数の民間人の犠牲を出したガザの軍事戦略をめぐってイスラエルのネタニヤフ首相と米国のバイデン大統領のあいだには深い溝がある。中国やロシアのイランに対する影響力は限定的であり、イランに自制を促すことが中ロの利益になるとも限らない。
このまま応酬を続ければ、行き着く先はイランと米国の双方が望まない衝突コースだ。偶発的な衝突につながる「レッドライン(越えてはならない一線)」の位置はますますわかりにくくなり、ソレイマニ氏暗殺でかろうじて回避した戦争を今後も避けられるとはかぎらない。
23年3月、イランは長年対立してきたサウジアラビアとの電撃的な和解を中国の仲介で成立させた。9月にはカタールの仲介で米国との人質交換と60億ドルのイラン凍結資産の解除でも合意していた。
10月のガザの衝突にともなう中東情勢悪化への変化の速さを印象づける。