カーター元米大統領が死去 人権外交、退任後に開花

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Source: Nikkei Online, 2024年12月30日 6:39

ジミー・カーター元米大統領(2015年8月)=AP

第39代米大統領のジミー・カーター氏が29日、死去した。100歳だった。最後に公の場に姿をみせたのは2023年11月、故郷・南部ジョージア州で77年連れ添った妻ロザリンさんの死を惜しむ追悼式に車椅子であらわれた時だった。

ピーナツ農家出身の庶民派で、敬虔(けいけん)なキリスト教徒。カーター氏は無名ながらも清新、素朴なイメージで国民の心をつかみ、大統領としてベトナム戦争とウォーターゲート事件で傷ついた米国の再生に取り組んだ。

在任中最大のレガシー(遺産)は1978年9月の中東和平合意だろう。エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相を米ワシントン近郊のキャンプデービッド山荘に招き、両首脳の小屋を何度も行き来し、2週間近くかけて歴史的な和解を実現した。

ニクソン元大統領が着手した中国との関係正常化交渉を引き継ぎ、79年1月に国交を樹立したのも功績のひとつだ。軍縮を大きな目標に掲げ、いったんはソ連と第2次戦略兵器制限条約(SALT2)に調印するところまでこぎ着けた。

もっとも、在任中の評価を米国人に尋ねれば総じて辛口の答えが返ってくる。特に政権末期はイランの米大使館人質事件への対応に追われ、救出作戦に失敗して信用を失った。米国弱体化の象徴とみなされ、再選を阻まれる屈辱を味わう。

東西冷戦のさなかにあって、現在の米国の外交に受け継がれる人権重視の軸を加えたのは確かだ。だが経験不足や見通しの甘さも手伝って思うような成果は出せず、「弱腰外交」との批判がつきまとった。

米経済の低迷も響いた。第2次石油危機後のインフレと不況を克服できず、経済運営の失敗への不信任を突きつけられる形で共和党のレーガン政権にその座を譲った。これ以降、保守派は共和党に結集し、現在の民主党との深い分断につながっていく。

むしろ、この人の輝きが増したのは大統領を退任した後だ。56歳で大統領を退いて帰郷し、40年余りを元大統領として生きた。民主党支持者は親しみと無念さを込めて「最強の元大統領」と呼ぶ。

カーター元大統領の100歳の誕生日を祝うホワイトハウス(2024年10月1日、米ワシントン)

人権や平和の伝道師として活動し、北朝鮮やキューバにも足を運んで対話を試みた。「平和的解決と民主主義・人権促進のための不屈の努力」が評価され、02年、米大統領経験者として3人目のノーベル平和賞を受賞する。

「他人の不幸に無関心で悲しみを感じないのなら、人間とは言えない」。人道主義や理想主義が最後まで背中を押した。

脳にがんの転移が見つかったのは15年8月。病と闘いながら、人生を楽しむ姿勢を貫いた。19年、95歳の誕生日の直後に自宅で転び、頭を14針縫う大ケガをした翌日にテネシー州ナッシュビルに。ボランティア仲間と住宅建設の支援に精を出した。

23年2月に病院での治療からホスピスへと移り、24年の米大統領選挙が間近に迫った10月1日、米大統領経験者として初めて100歳となった。そのおよそ2週間後、郵便投票で民主党のハリス副大統領に1票を投じた。

地元ジョージア州ではトランプ前大統領の集会の参加者さえこう話すのを聞いたことがある。「ジミーはいいやつだ。1976年大統領選で彼に投票したことは自慢だ」

(ワシントン支局長 大越匡洋)

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