ゴッホ 新イメージ
芸術思想史家 木下長宏
Nikkei Online, 2020年6月22日
(4)「クロッカスの芽」
父の死をきっかけに、オランダを出て、弟のいるパリへ出た。
テオの紹介で印象派の画家たちと交流が始まる。そして、ゴッホの暗い茶色に支配されていた画布は、すっかり明るくなった。
同じ茶色を使っても、とても明るい色調の茶だ。「クロッカスの芽」はパリに来て1年経(た)った頃の作品。印象派の理論と手法を吸収しようと熱心に勉強していた自分をふと振り返ったような作品である。その柔らかく明るく塗られた茶色を背景に、濃い茶で描き込まれた籠の中、いっせいに芽を出しているクロッカス。土の茶色は籠の茶色よりいちだんと濃く、その土から芽を出すクロッカスは籠の茶色より明るく、画面の外から差し込む光を受け止めている。
同じ白でハイライトをつけても「機織る人」のぎこちなさはない。
オランダ時代の自分はどんな絵を描こうとしていたのか、振り返ってみたとき、思わず「草の芽」を描いているゴッホがここにいる。
「草の芽」という主題は、彼が、絵の道へ新しい一歩を踏み出す決意を代弁している。まだ、言葉にはしきれない、心の蠢(うごめ)きの形である。
(1887年、油彩、32.5×41.2センチ、ファン・ゴッホ美術館蔵)